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現代思想に関する書物よりも、聖人たちの著作の方が大衆には接しやすい。 [2025年05月01日(Thu)]
(1442)
 困難なのは、不変の価値を受け入れられるような優れた感度を有する心を持つことです。
 現代の思想であれば、政治的、社会的、経済的、科学的、どんな意味のものであっても良いのですが、それに関する書物を手に入れることは可能ですし、それらを読んで好奇心を満足させることもできるでしょう。
 しかし、そのような書物よりも宗教的な文学を見つけることの方がずっと容易なのです。聖人たちは、大衆に向けて書き、また語ったのですから。
 大衆が受け入れやすい形で現代思想を翻訳するという試みは、まだ始まったばかりです。それはそれで、遅滞なく進められるべきです。
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 村の活動についてのガンディーの話の続きです。
 「僻地の村には偉大な人物は誰も訪れないので、偉大な人々との交際ができない」という若者の不満に対して、「直接会わなくても、偉大な人物の書いた著作を読めば彼らとの交わりを得ることはできる」とガンディーは答えていました。(1441)
 ここで挙げられていたのは、インドの宗教家や詩人たちでした。このほか、現代思想についても書物を通じて学ぶことはできます。しかしガンディーは、「これらの書物を探し出して読むよりも、インドで昔から知られている聖人たちの著作物を読む方が簡単だ」と言っています。
 インドの宗教家たちは、主に詩の形で自分の思想を表現していたようです。その方が大衆にとって受け入れやすいというのも、主要な理由の一つだったと思われます。
 その一方で、現代思想(この時代では、ほとんどそれは欧米人によって、欧米の言葉で書かれていました)に関しても、「インドの大衆が受け入れやすい形に翻訳される努力が遅滞なくなされるべきだ」という見解が示されています。
 そして・・・ 
偉大な人々との交わりは、彼らの著作物を通じても可能である。 [2025年05月01日(Thu)]
(1441)
 さらに、偉大で善良な人々と交わりを持つことは、彼らの著作を通じてでも可能です。
 チャイタニヤ、ラーマクリシュナ、トゥルシーダース、カビール、ナーナク、ダードゥ、ツカラム、ティルヴァッルヴァル・・・そのほかにも同じくらい有名で信心深い人物はいますが、あまりにもたくさん過ぎてとてもここには書ききれません。
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 村の活動についてのガンディーの話の続きです。
 これも、「僻地の村には偉大な人物は誰も訪れないので、偉大な人々との交際ができない」という若者の不満(1433)に対する反論です。
 チャイタニヤは、15世紀の聖人で、ヴィシュヌ派の指導者のようです。
 ラーマクリシュナは、19世紀インドの宗教家です。ガンディーよりも30歳ほど年上ですが、ほぼ同時代の人物です。ヒンドゥー教、イスラム教、さらにキリスト教にも接近し、宗教の違いを超えた普遍的な真理があるという主張をしたようです。その点ではガンディーも同様の見解を示しています。(36)もしかすると、ラーマクリシュナがガンディーに影響を与えていたのかもしれません。
 トゥルシーダースは、(766)で出て来ました。
 カビールは、15世紀頃のインドの宗教思想家です。この人については、ソローの「森の生活」の中でも言及されていました。
 ナーナクは、シーク教の開祖です。(611)
 ダードゥは、詳細は不明ですが、カビールの影響を受けている人のようです。
 ツカラムは、16世紀の詩人です。神の国から迎えが来て生きたまま昇天したという伝説が残っているようです。
 ティルヴァッルヴァルは、5〜6世紀の詩人・思想家だそうです。
 ガンディーはこのように「偉大な人物」たちの名を列挙し、さらに、「ほかにもたくさんいる」と強調するのです。
 そして・・・
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