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ランカシャーはインドから手を引け。 [2022年09月02日(Fri)]
(476)
 「インドの保持は、その国民からの信託を受けてなされるべきである」
 これは、イギリス自身によって宣言された政策です。もしもその通りなら、ランカシャーはインドから手を引かなければなりません。
 スワデシの原則がもしも健全なものであるなら、仮に一時的には打撃を受けたとしてもランカシャーはきっとインドから手を引いても無傷でいることが可能でしょう。
 ・・・
 

 
 経済のスワデシに関するガンディーの意見(475)の続きです。
 「イギリスによって宣言された政策」というのは、多分、1858年(インド大反乱の翌年)に発布されたイギリス女王の宣言のことだと思われます。恐らく、植民地支配に対する反発から生じたインド民衆の大規模な蜂起は武力で鎮圧したものの、力による強制・強要だけでは継続的な支配は不可能だと悟ったイギリスが、「イギリスによる統治がインド人民にとって良き統治である」と思わせるように(あくまでも建前上の)統治理念を示したのでしょう。
 要するに、イギリスによるインド支配は決して力による無理やりのものではなく、「インド国民の信託に基づくもの」であるとしてそれを正当化しようとしたのだと思います。これは、日本国憲法前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって・・・」という文言を想起させますね。いずれにしても、言葉だけで満足せず(誤魔化されず)、その言葉に実質が伴うように国民が不断の努力をしなければなりません。
 そういうわけで、ガンディーも、「宣言した通りに実行せよ」と鋭くイギリスに要求するのです。ランカシャーは、イングランド北西部の州です。工業都市として有名なマンチェスターもこの地方にあるそうです。
 そして、さらに続けてガンディーは・・・
 
第222回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(6)鎮西八郎 [2022年09月02日(Fri)]
 8月23日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●源為義の八男・為朝は、小さい頃から腕白者だった。
●13歳で、身長7尺(2メートル以上)!
●5人張りの大弓を一人で引く弓の名人。
●あまりの暴れん坊ぶりに困った父は、彼を九州に送り出す。
●為朝は鎮西八郎と名乗り、勝手に九州を征服し始める。
●数年のうちに、九州すべてを支配下に置いてしまった。
●朝廷は怒って、父の為義に罰を与えた。

 そして・・・

                  (つづく)
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