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最小限の国家的暴力に訴えてでも。 [2022年07月12日(Tue)]
(422)
 裕福な人々が信託を受けた者として行動してくれるならば、私にとってこれほど喜ばしいことはありません。
 しかし、私は次のことも確信しています。もしも彼らが自発的にそうしようとしないなら、我々は最小限の国家的暴力を使って彼らの財産を取り上げなければならなくなります。
 ・・・

        

 信託についてのガンディーの意見の続きです。
 「国家的な暴力は、意見の異なる人々を抑圧するために使われる恐れがある(421)」と彼は述べて、たとえ経済的な平等を実現するという正当な目的のためであっても国家権力の行使については慎重な態度を示していました。
 しかし、決して彼は理想論だけに固執して現実を無視することはありません。裕福な人たちが経済的な平等を実現するための役割を自発的に果たしていくことを期待しつつも、彼らがそうしない可能性についても十分に考慮しているのです。そしてまた、現実に多くの人々が苦しんでいる著しい不平等を放置することは決して許されないということもはっきりと認識しているのです。
 だから、裕福な人たちが莫大な財産を自分の利益や欲望の追求のために使って社会に還元しようとしないならば、国家権力を行使してでも彼らの財産を取り上げる必要があると明言しています。最小限の国家的暴力とは、例えば法律に基づき富裕層の所得や資産に対して相当の課税をするというようなことだと思います。その場合、国家権力が過剰に、あるいは不当に用いられることが決してないように、適切な監視や抑制が働くような政治体制が必要であることは言うまでもないでしょう。
 そして・・・
しもかわ読書会6月例会の報告(3)侵略国の人たちは、どう考えているのか? [2022年07月12日(Tue)]
 「しもかわ読書会」6月例会の報告の続きです。
 
●北御門二郎さんは、トルストイを原書で読むためにロシア語を学ぶ決意をし・・・。
●中国東北部(当時の満州)のハルビンにまで行った。
●中国民衆に対する日本兵の残虐行為にショックを受けた北御門二郎さん。
●しかし、満州にいる日本人はそれを当然だと言う。
●日本の中国侵略を正当化する軍人。

 しかし・・・
         (つづく)
第218回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(7)四書五経 [2022年07月12日(Tue)]
 6月29日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●四書とは、『大学』・『中庸』・『論語』・『孟子』のこと。
●五経は、『易経』・『書経』・『詩経』・『礼記』・『春秋』。
●宋以前は、五経が儒教の基本経典として重んじられていた。
●朱熹は、孔子と孟子を高く評価して四書を五経の上に置いた。
●「大学」と「中庸」は、孔子が編集したとされる『礼記』から一部を独立させた。
●『論語』は孔子の言行録(著書ではない)、『孟子』は孟子の言行録。
●つまり、朱熹は孔子・孟子の権威を用いて儒学の教理を再構成した。

 そして・・・

                  (つづく)
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