貧しい人々に施しをして自己満足に浸るよりも・・・。 [2022年06月01日(Wed)]
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また、救貧施設はその資金を提供する篤志家たちにも「自分たちは善いことをしている」という間違った自己満足感を与えてしまいます。 もしも、彼らが施しをする施設ではなく働く場としての施設を開くなら、そしてそこで働く男女に対して健康的で清潔な環境と食べ物を提供するなら、その方がどれほど素晴らしく賢明であることでしょう。 ・・・ 「すべての救貧施設を閉鎖せよ。このような見当外れの慈善事業によっては物質的にも精神的にも国民を豊かにすることはできない(381)」とガンディーは言っています。 これは、かなりの暴論に聞こえるかもしれません。しかし、決して彼は貧しい人々を放っておいても良いと考えているのではありません。そうではなくて、「彼らに施しをするのではなく、生産活動の場を与える施設を作るべきだ」と言うのです。つまり、貧しい人々に対して、生活する権利だけでなく労働の権利も保障しなければならないというのがガンディーの主張であると理解できます。 あの、貧しい人々に無償の奉仕をする活動で有名なマザー=テレサも次のように語っています。「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです」 ちなみに、この時代には国家予算に基づく社会福祉事業はなかったので、救貧事業も篤志家たちの寄付によって運営されていました。この場合、篤志家たちが純粋な愛や正義の動機によってそれを行っていたとしても、「与える者・援助する者」としての優越感情あるいは自己満足・自己陶酔が生じる危険は少なからずあると言えるでしょう。 そして、ガンディーはさらに・・・ |