食べるために生きるのではなく、生きるために食べる。 [2022年05月09日(Mon)]
(360)
もしそれを実行したら、我々はまさに最低限のもので満足できるようになるでしょう。我々の食事はとても簡素なものになるでしょう。 つまり、その時こそ本当に、食べることが手段であって生きることが真の目的であるような状態を実現することができるのです。決してもう、食べるという目的のために生きるということを手段にしてしまわなくても良くなるのです。 ・・・ 「パンの労働」についてのガンディーの意見の続きです。 「それ」というのは、「自分自身の日々のパンを得るのに十分なだけの肉体労働をする(359)」ことです。 自分で汗を流して働けば、最低限のもので満足できるようになると彼は言います。「足るを知る」ということは、簡単そうで実は非常に難しいことです。しかし、それは必要なものを求めるのではなく欲しいものを求めるからなのです。欲望に限りはありません。けれども、自らの体を使って働けば、本当に体が必要としているものを正しく感じ取れるようになるということだと思います。 欲望に従ってしまえば、「もっと、もっと、もっと・・・」と人は何でも際限なく欲しくなってしまいます。もはや、自分が欲望に駆られているという自覚さえ持てなくなり、すべてが必要不可欠だ、それが得られなければ自分は不幸になってしまうと思い込んでしまうのです。 そうなると、もう、「生きるために食べている」のか、それとも「食べるために生きている」のかさえも分からないような状況になってしまうのではないでしょうか? しかし・・・ |