パンの労働は、理想を目指す長い道のりの第一歩 [2022年05月08日(Sun)]
(359)
神に捧げるべきものを捧げよという法、すなわち我々の存在そのものに関する法とも言えますが、それを完全に実行することができなかったとしても、自分自身の日々のパンを得るのに十分なだけの肉体労働をするだけでも良いのです。 そうすれば、我々はその理想に向かう長い道のりを進み始めることになるのですから。 ・・・ 「パンの労働」についてのガンディーの意見の続きです。 「これはあくまでも理想であって、達成することはできないかもしれない。それでも、努力をやめる必要はない(358)と彼は言いました。 しかし、この場合の「達成しがたい理想」というのは決して「各自がパンの労働を実践すること」ではないのです。それは、やればできることだと彼は考えているようです。「自らのパンのために、自らが汗を流して働く」というのは、彼にとって崇高な理想ではなく、最低限の義務なのです。 では、一体何が究極の理想なのかと言うと、「神に対して犠牲を捧げるという法」を完全に実行することだと彼は述べています。これは、(337)と同じく「ヤギャ」のことなのではないかなあと思います。 そして・・・ |