自分のものであって、自分のものではない。 [2022年02月27日(Sun)]
(290)
そう考えると、非暴力の方法が優れているのは明らかです。富める人々は、彼らの富を奪われることなく保有し続けます。 その富の一部は、彼がほかの人たちと同じように個人生活に必要とするものを得るために使われます。そして、残った富については、所有者は社会のために用いられるべきものとして自分に信託された財産と考えてそれを扱うのです。 ・・・ 「暴力によって富める者たちの富を奪ったとしても、社会はますます貧しくなってしまう(289)」という話の続きです。それはなぜかと言うと、金持ちの人々の能力を社会のために活かせなくなってしまうからです。 これに対して、非暴力による方法では、富める者たちの自発的意思によって平等な分配を実現しようとします。つまり、金持ちの人たちを敵とみなすのではなく、平等な社会を共に築いていく仲間だと考えるのです。 この場合、金持ちの人たちは余剰な財産をどこかに寄付したり供出したりするのではなくて、そのまま保有し続けるという所が面白いですね。ただ、その富は自分のためでなく世のため人のために用いるべきものとして管理・運用・活用しなければならないものとして扱うのだそうです。 これは、(287)で述べられていた「信託」の考え方ですね。 そして・・・ |