神に捧げる日々の労働。 [2022年01月28日(Fri)]
(263)
あなたは神に対して何を捧げますか。いろいろな形の捧げ物があると思いますが、日々のパンを得るための労働というのもその1つになりうるでしょう。 ・・・ 肉体労働についてのガンディーの見解の続きです。 「額に汗して、パンを得よ」という聖書の言葉を引用した(262)後、と彼はこのように続けます。つまり、ガンディーの解釈では、労働というのは神から与えられた罰ではなくて、人間が神に差し出すべき捧げ物なのです。 もちろん、すべての人が、例外なく、労働をもって神への捧げ物にしなければならないとは言っていません。しかし、労働とは神への感謝・神への賛美・神への愛を表すものなのです。 さて、ここで彼は、「パンを得るための労働(原文では"Bread Labour"、ずばり、『パンの労働』です)」という言葉を使っています。「パン(生活に必要な様々な物を象徴的に表していると思われます)を得るために直接行われる労働」であって、決してそれらを買うお金を得るための労働ではないという点が重要だと思います。 そして、彼は続けて・・・ |