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権利を得るための義務、権利を守るための対抗手段。 [2022年01月25日(Tue)]
(260)
 生きる権利を得るために必要な義務は、自ら手足を使って働くことです。そして、生きる権利を守るための方策は、自らの労働の果実を奪おうとする者に対して決して協力しないようにすることです。
          (「ヤングインディア」1931年3月26日) 
 


 「基本的な人間の平等性を守るためには、それに応じた義務とそれが脅かされた場合の対抗手段を見つけ出す必要がある」というガンディーの意見の続きです。
 確かに、「基本的人権は、何か義務を果たした報酬としてではなく、また何らかの契約に基づいてでもなく、無条件に、無差別平等に、すべての人に保障されなければならない」という意見もあるでしょう。しかし、よく考えてみてください。仮にすべての人が、「自分には働く義務はないから働くことを拒否する。そして、生活を保障される権利はあるからそれは要求する」と主張したら、どうなるでしょうか? それは、やはり不可能でしょう。仮に何らかの方法でその不可能を可能にできたとしても、それは多かれ少なかれ、他国民からの搾取、自然からの収奪、次世代からの剽窃を意味するのではないでしょうか。
 もちろん、子ども、高齢者、病気や障がいを持った人など、労働の義務を課すべきでない人はいます。そういう人々にも生存権を保障しなければならないのは言うまでもありません。だとすればなおさら、それらの人の生活を支える義務が他の人々によって果たされなければならないのではないでしょうか。
 また、権利というのは与えられることを要求するだけで得られるとは限りません。また、それが脅かされたり侵害されたりした場合、誰かが回復してくれるのを待っていればよいとも限りません。だから、対抗手段が必要だと彼は言うのです。支配者や搾取者に協力しないこととは、(219)で述べられているような非暴力の抵抗運動のことを指していると思われます。
しもかわ読書会12月例会の報告(15)寛容でなければならないという不寛容な主張。 [2022年01月25日(Tue)]
 「しもかわ読書会」12月例会の報告の続きです。
  
 ●一方、リベラルと思われる人々は本当にリベラルか?
 ●自分と違った考えの人たちに対して寛容とはあまり思えない。
 ●「寛容であれ」という主張さえも、しばしば不寛容になされる。
 ●少数派が多数派に従属・同調しなければならないというのは自由主義じゃない。
 ●選挙というものを、どう考えるか?
 ●「勝つか負けるか、どこが勝ったか?」だけが問われるのではないはず。

 それから・・・
                       (つづく)
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