健康・幸福・精神的な成長のために機械は役立たない。 [2021年09月27日(Mon)]
(142)
私は、物言わぬこの国の大衆のことを考えているのです。彼らが健やかで幸せになれるように私は願っています。そして、彼らが精神的な成長を遂げていけるように望んでいます。 この目的のために、果たして機械は必要なのでしょうか? 少なくとも現状においては、そうではありません。 ・・・ 「機械は人間にとって悪い影響をもたらす」というガンディーの主張(141)の続きです。 確かに、機械は便利です。機械を使えば、効率性は高まるでしょう。しかし、「人間にとって大切なのは、健康、幸福、そして精神的な成長だ」と彼は言うのです。つまり、「楽をすることは人間の目的ではない」「効率性も、人間のあるべき生き方に近付いているかどうかを測る尺度ではない」ということでしょう。 苦痛や負担が軽減されたり効率性が高まることが人間に良いものをもたらす可能性はあります。しかし、決して「楽をすること」自体に価値があるわけではないし、「効率的になる」からと言って必ずしもより豊かな創造性が発揮されるとは限りません。問題は、「不要になった時間やエネルギーを、いかにしてより価値の高い活動のために使うか」でしょう。 「楽になったら、もっと楽をしたい」というのでは健康にも幸せになれません。精神的な成長も、望めないでしょう。また、いくら効率が良くなったとしても、その効率性によってさらに多くを生産するだけであれば、単に際限なく生産量を増やすだけです。そうしているうちに、「人間の必要を満たすために生産する」のではなくて「生産量の増大に合わせて人々の欲望を増大させる」ような状況になってしまうでしょう。また、競争がさらなる効率化を強いるようになってくれば、効率化は決してゆとりを生むものでもなくなってくるでしょう。 そしてガンディーは、さらに続けて・・・ |