自分の境遇に不満を抱かせるような教育。 [2020年08月18日(Tue)]
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自分の住んでいる小屋がどんなにみすぼらしいか、自分の置かれている境遇がどんなに惨めなものか、彼に気付かせて悲しませたいと言うのですか? 仮にあなたがそう望んだとしても、そんな教育は彼にとってまったく必要ではありません。 「農民に文字の読み書きを教えても、それで彼の幸福が増すわけではない(913)」という話の続きです。 教育には、子どもたちに広い世界を知らせるという機能がある。こう考えることもできるでしょう。すなわち、広い世間には、自分の村とはまったく異なった社会環境がある。農民の暮らしとは違った都市的なライフスタイルがある。・・・そういった情報を与えることは、子どもに夢を与え、その可能性を広げる契機になるのではないか。そういうふうに思う人もいるかもしれません。 「今の自分の境遇よりも豊かな生活をしている人たちがいる」ということは、そういう暮らしに対する憧れ、夢、希望を持たせるかもしれません。場合によっては、そのような暮らしを手に入れようという目標を与えてくれるかもしれません。 しかし、それが実現しそうもないと感じられる場合はどうでしょう? それは、絶望感・劣等感・無力感を彼に抱かせることになるでしょう。もし彼が諦めずに努力しようとしたとしても、「現状は否定すべきもの」という考えを植え付けてしまうことにはならないでしょうか? そういうわけで、「そんな教育は彼にとってまったく必要のないものだ」とガンディーは断言するのです。 さらに・・・ |