すべての国民に教育を保障しようとする努力は、無意味なことなのか? [2020年08月06日(Thu)]
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しかし、このような努力もすべて無益であるとあなたはおっしゃるのですか? 教育の必要性についてのガンディーの見解を問う若い読者の発言(900)」の続きです。 「このような努力」とは、サヤージー⁼ラーオ⁼ガーイクワード3世が自分の藩王国において義務教育制度を導入したような、インドの民衆に教育の機会を保障しようとする取り組みのことを指しています。もちろん、この当時は学校教育などはほとんど存在していませんでした。ですから、圧倒的多数のインド人民は読み書きもできない状態のまま、年少の頃から単純肉体労働に従事したり、女性であれば結婚して因習的な家庭生活に束縛されることになったりしていたのだろうと思われます。 若い読者は、このような状況が改善されない限りインド民衆の生活水準の改善も意識の向上も望めないし、インド社会の発展も実現できないと考えていたのでしょう。また、社会の近代化が進まなければいつまで経ってもインド人はヨーロッパ人に対する従属的な立場から脱することができないし、自分たちが求める民族の自治・独立も果たすことができないと考えていたでしょう。だから、教育の普及や充実がインドにとって非常に重要な課題だと思ったのでしょう。 これに対して、「教育の必要性についてあなたは関心を示していないようだが、一体どう考えているのですか?」とガンディーに尋ねるのです。 さて、この問いに対して、ガンディーは・・・ |