殺す勇気と殺される勇気。 [2020年05月28日(Thu)]
(834)
さて、あなたはどう思いますか? 大砲の後ろから砲弾を発射させて他人の体を粉々に吹き飛ばしてしまうことと、自分の体を吹き飛ばそうとしている大砲にもたじろがず、微笑と共にそれに歩み寄ることと、果たしてどちらの方が勇気のいる行為でしょうか? 「受動的抵抗の実践者は、権力者がイギリス人だろうがインド人だろうが、自分の良心に反する命令には絶対に従わない。たとえ命を奪われる危険にさらされたとしても、その決意は揺らがない(833)」という話の続きです。 ガンディーの考えによれば、受動的抵抗は決して激烈で過酷な闘争を避けるための消極的な手段ではなくて、むしろ自分の命を奪われることさえ恐れずに断固として抵抗するということなのでした。だから、彼はこれを「魂の力」と呼んでいるのです。(746) 自分の命を棄てることは、他人の命を奪うことよりもずっと大きな勇気を必要とすると彼は言います。確かに、それは人を殺す手段が進歩すればするほど著しくなるでしょう。現在では、自分の殺す相手を見ることなく、しかも自分の能動的な行為としてはボタン一つ押す程度の動作で他人の命を奪えてしまうのです。それに必要なのは、勇気というよりもむしろ非情さ・鈍感さであると思います。 そして・・・ |