不正な手段を用いれば、不正な結果しか得られない。 [2020年01月12日(Sun)]
(701)
彼らが得たものは、彼ら自身が選んだ手段からもたらされる当然の帰結でした。つまり、彼らには自らが用いた手段にふさわしい結末を与えられたのです。 「イギリス人は権利獲得運動によって選挙権の拡大を勝ち取ったが、それはかえって彼ら自身を苦しめる重荷になってしまっている(700)」という話の続きです。 前の部分では、「それは、権利ばかりを求めて自分たちの義務をないがしろにしているからだ」という観点から述べられていたのですが、ここでは、「それを求める手段が暴力という人道に反する手段であったから、得られたものも本来の良きものとはならなかったのだ」という説明がなされています。 しかし、これらはガンディーにとっては同じことなのです。「人間の果たすべき義務」とは、道徳の実践であると彼は考えているのですから。(559)では、「義務を遂行するとは、つまり道徳を実践することだと言い換えてもよい」と述べられていましたね。 つまり、彼にとっての手段とは、いわゆる「目的と、その達成のための手段」というのとは違ったものなのです。それよりはむしろ、「原因と結果」の関係における原因に近いかもしれません。 さらに・・・ |