人間としての義務を果たそうとせずに、ただ権利だけを求めれば・・・。 [2020年01月11日(Sat)]
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私は、彼らがまったく何の義務も果たしていないと言いたいのではありません。ただ、彼らはその権利を持つ者が行うべき義務を実行していないのです。 その義務とはすなわち、完全な人間性を身につけることです。その義務がないがしろにされているために、彼らが獲得した権利はかえって彼ら自身を苦しめる重荷になってしまっているのです。 「みんなが自分の権利を要求するだけでは本当の権利は得られない」という話の続きです。 ガンディーやマッツィーニの考えによれば、「すべての人間は、人間としての権利を持つべきである。もしも権利から疎外されている人がいれば、当然その人には権利が与えられるべきである。ただし、権利獲得は決して究極的な目的ではない。各人によって獲得された権利は、その人が人間としての義務を果たすための手段として用いられなければならない」ということになります。 これは、単なる道徳的な「あるべき論」ではありません。そのような義務を果たそうとしなければ、権利は決してその人の幸福につながらないと彼らは言うのです。 さて、ここで述べられているのはイギリス人の選挙権獲得運動(697)なのですが、果たして、「彼らが獲得した権利はかえって彼ら自身を苦しめる重荷になってしまう」とはどういうことなのでしょうか? 「人間としての義務を果たそうが果たすまいが、選挙権を獲得してしまえば人々がそれを自分の利益追求のために行使することは誰にも妨げられない。だから、自分たちの要求実現や待遇改善にはとにかく役立つのではないか?」という反論もあるでしょう。 普通選挙に関して、マッツィーニはこう言っています。「普通選挙は非常にすばらしいものだ。一国が時折暴力的な危機に見舞われることなく統治されるための唯一の合法的な方法である。一つの信条が行き渡っている国であれば、普通選挙制度は国民の意思、傾向を表すものとなるだろう。しかし、共通の信条を持たぬ国では、数の上で優位に立つ利益とそれ以外の者の抑圧以外の何が示されるというのか。信仰心に欠ける国や宗教を大事にしない国では、どんな政治的改革もほんの気まぐれか、それを欲する個人の関心以上に長続きすることはない」(「人間の義務について」) 確かに、たとえ普通選挙が実現しても、「国民すべての意思が政治に反映され、みんなが幸せになる社会」が実現するわけではありませんね。その権利を、人々がいかに用いるかが問題になるのです。 さらに、続けてガンディーは・・・ |