「平等とは何か?」という話の続きです。
●平等というのは、画一性のことなのか?
●違った条件の人々に同じものを与えるのが平等・公平なのか?
●多様な人々を画一的に扱えば、結果は格差が増大する。
●人によって条件が違う、個性が違う、ニースが違う。
●与える側にとって「同じ」でも、受け取る側にとっては「違う」。
●誰が平等と決めるのか? サービスを提供する側(行政・学校など)か、それとも受ける側(国民・生徒など)か?
●平等というのは、形式の問題なのか、それとも実質の問題なのか?
●違った条件の人々に同じものを提供するのは、機会の平等でも結果の平等でもない。
などの話をしました。
平等・公平というのは公共サービスの重要な原理です。しかし、これが誤解されると非常に大きな弊害があると言わざるを得ません。それはつまり、「平等に、公平に」と言いながら実際には不平等を強化・拡大することになるからです。
平等というのは、「同じ条件の人に対して同じ扱いをする」という原則です。
もし違った条件の人たちに対して同じ扱いをすれば、その結果は不平等なものになってしまいます。
そもそも、皆が同じ条件で社会生活を営めるのであれば、公共サービスは原則的には必要ではないのです。結果としての平等を実現するために最善の努力をすることにこそ、公共の役割・意義はあるのではないでしょうか?