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「ウォールデン(森の生活)」もくじ [2016年12月31日(Sat)]
第1章 経済 (1)〜

第2章 住んだ目的と住んだ場所 (385)〜

第3章 読書 (454)〜

第4章 音 (526)〜

第5章 孤独 (600)〜

第6章「訪問者」 (651)〜

第7章 豆畑 (702)〜

第8章「村」 (741)〜

第9章 池 (763)〜

第10章 ベイカー農場 (856)〜

第11章 より高い法則 (887)〜

第12章 動物の隣人たち (945)〜

第13章 暖房 (1012)〜

第14章 先住者と冬の訪問者たち (1098)〜

第15章 冬の動物たち (1174)〜

第16章 冬の池 (1222)〜

第17章 春 (1283)〜

第18章 むすび (1393)〜
「もくじ」を作成しようと思ったのですが・・・ [2016年12月30日(Fri)]
 というわけで、「もくじ」を作成しようと思ったのですが、流石に4年半分は結構大変でした。
 明日には出来上がる予定です。もう暫くお待ちください。
 
足掛け5年の月日を掛けて・・・ [2016年12月29日(Thu)]
 遂に、ソロー研究「ウォールデン(森の生活)」が完結しました。
 ブログでの連載開始を宣言したのが2012年5月2日、そして連載がスタートしたのは翌5月3日でした。それから実に、4年半の歳月が流れたことになります。

 今後も、気付いた点などあれば随時改定していきたいと思います。読者の皆さんからも、疑問点や提案などがあればどうぞお寄せください。

 とは言っても、これだけ長いので、「あれ、あの記事は一体どこにあるのかな?」と思った時に探すのが大変ですね。
 というわけで・・・

                       (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(14)「森の生活」ラストの名言。 [2016年12月28日(Wed)]
 いよいよ、最後の締めくくりです。
 最後に、ソローは当時ニューイングランドでよく知られていたというエピソードを語ります。
切り倒されてテーブルになった木の中で、そこに産み付けられた虫の卵が60年以上も生命を保ち続けたという話です。そこから彼は、「誰でも復活と不死に対する信仰が強まるのを感じるだろう」と言うのです。
 そしてここまで綴って来た文章の締めくくりに、ソローはこんなことを言うのです。
 「こうやって書いていることのすべてを多くのアメリカ人やイギリス人が理解してくれるだろうとは思わない」。つまり、ソローは自分の主張が同時代の人々には理解されないことを十分に承知していたのです。
 しかし、たとえ多くの人に分かってもらえなかったとしても、彼には真理に対する強い確信がありました。それを彼は、「単に時間が経過するだけでは決して訪れない夜明けというのは、そういうものなのだ」「ぼくたちが(真に霊的な意味で)目を覚ました時にこそ、その夜明けはやって来るのだ」と表現しています。それに比べれば、ぼくたちが実際に毎朝目にしている太陽も、「(本当の霊的な夜明けにもたらされる光に比べれば)夜明け前の暗い空に輝く小さな星に過ぎない」と言い切るのです。
         
第18章「むすび」のまとめ(13)真理は、実はぼくたちの間近にある。 [2016年12月27日(Tue)]
 さらに、ソローはぼくたちの常識を超えた所に真理があることを繰り返し説き続けます。
 「この世界には、絶えず新奇なものが流れ込んでいる。にもかかわらず、ぼくたちはまったく信じられないくらいの退屈さに文句も言わず耐えているのだ」
 「ぼくたちは、服を着替えることはできるけれども、それ以上に自分を変革することはできないと思い込んでいる」
 「ぼくたちの中に存在する生命は、川の中の水のようなものだ」
 そして最後に・・・
                   (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(12)人間よ、思い上がるな。 [2016年12月26日(Mon)]
 さらに、ソローは人類の自己満足を批判します。世界中の至る所で芸術や科学や文学の進歩が満足げに語られているが、近代は決してそのように誇るほどの歴史なんか持っていないと彼は言うのです。「古代アッシリアの学会や偉人たちは、一体どこへ行ってしまったのだろう?」と彼は問います。アッシリアは、かつては繁栄したもののやがて滅亡してしまった文明の一例です。これら多くの文明と同じように、現代文明も遠からず崩壊し、後世にはほとんど何も残しえないのではないかと言いたいのでしょう。
 また、「今という時代は人類にとって生涯のうちの春の季節に過ぎないのかもしれない」と言ってソローは人類がまだまだ発展途上の幼い段階にいることを示唆し、「ぼくたちが住んでいるこの地球の表面。そこが、ぼくたちの慣れ親しんでいる唯一の世界だ」と言って人間の認識が極めて狭く小さな領域に限られていることを強調します。そして、「世界のすべてを支配しているつもりの人間も、より高次の存在から見れば、あたかも地を這う虫のようなものなのではないか」と語るのです。
 さらに・・・
                   (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(11)真実を基準にした、根本的な社会批判。 [2016年12月25日(Sun)]
 「ぼくは、どうしても物事の重みをしっかりと見定めたい」
 「思い込みの状況にとらわれるのではなく、現にある事実そのものを掴みたい」
 「めったにない特別な瞬間に考えられたり、言われたり、実行されたことだけが善なのだ」
 「愛よりも、金銭よりも、名声よりも、ぼくが求めるのは真実なのだ」。
 そうなのです。ソローが求めていたのは真実なのです。多数者の意見や時代の風潮などに、彼は決して従うべき権威を認めません。「彼らの流行も、邸宅も庭も、そして『娯楽』も、ぼくにとっては何の意味もなかった」と言うのです。
 そうしてさらに、ソローの文明社会批判は続きます。
 ・・・
                   (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(10)世間に合わせるのではなく、世間に自らを順応させようとするのでもなく・・・。 [2016年12月24日(Sat)]
 ソローは、同時代の人々の会話を「雑音」と言い、彼らの関心事に自分はまったく興味がないと言い切ります。
 そして、「彼らが関心を持ち、会話している内容は、そのほとんどが衣服や風俗についてである。しかし、どんなにそれを着飾らせたとしても、所詮ガチョウはガチョウではないか」と言って彼らを痛烈に批判するのです。
 世間一般の人々に自分も合わせなければならないなんて、ソローはこれっぽっちも考えません。「ぼくがほっとするのは、自分がいるべき場所に着いた時だ。できることなら、ぼくは宇宙の創造者と共に歩んで行きたい」と、彼はむしろ世間を超越した世界で生きたいと願うのです。
 「落ち着きがなくて神経質で慌しくてこせこせとした19世紀という時代の中でぼくは生きたくはない。それが通り過ぎる間、自分は思慮深い立ち居振る舞いを保っていたい」。こうソローは言います。彼の目から見たら、この21世紀は一体どんなふうに見えるのでしょうね?
 そして・・・
                   (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(9)本当の生き方を求める人は、豊かな暮らしを避けよ。 [2016年12月23日(Fri)]
 さらに、ソローは貧しい生活の好ましさ・豊かな生活の不都合について様々な表現で語ります。
 「公的な扶助を受けているよりもっと多いのは、決して誠実とは言えないやり方で自分の生活を支えている人たちだ。その方が、ずっと不名誉なんじゃないか」
 「生活の貧しさだってそれが立派に育つようにきちんと注意して世話するべきだ。それが賢者というものだ」
 「君の衣服は売り払ってもよい。でも、君の思想は売り渡すな」
 「狭い屋根裏部屋の隅に何日間も閉じ込められた蜘蛛のような境遇になったとしても、ぼくにとっての世界は少しも狭くなりはしない」
 「貧困と窮乏の影が、ぼくたちの周囲に集まって来る。すると、見よ。新しく創造された宇宙がぼくたちの視界に広がってくるではないか」
 「仮にクロイソスの富が与えられたとしても、ぼくたちの目指すべき目標はそれ以前とまったく変わらない。その目標に近付いて行くための手段だって、本質的には何も変わらないだろう」
 「余分な富で買えるのは、まさに余分な物だけだ」
 という具合です。
 「貧しい生活(簡素な生活)が大事だ」というのは、「ウォールデン」の大きなテーマの一つです。しかし、世間一般の人々は正反対のことを考えています。
 そこで、ソローは次に、そういう人々の常識的な考えを痛烈に批判するのです。
 ・・・
                   (つづく)
第18章「むすび」のまとめ(8)やはり、真実こそが一番尊いのだ。 [2016年12月22日(Thu)]
 その後、ソローは真理について語ります。
 「時間を超越できるのは、真実だけなのだ」。「やはり、真実こそが一番尊いのだ。見せ掛けになんか価値はない」。
 ところが、「大抵の場合、ぼくたちは自分が実際にいる場所とは違った場所に自分の身を置いてしまう。自らの性質の弱さのゆえに1つの状況を勝手に想像し、その状況の中に自分を当てはめてしまうのである」。しかし、「正しい感覚を保っていれば、ぼくたちにはただ1つの事実しか見えないだろう。自分が置かれている状況は、まったく事実そのままに認識されているはずだ」と彼は断言するのです。
 そして彼は、「貧しくても、自分の生活を愛せ」と言います。多分、貧しい生活の中にこそ真実はあるということなのでしょう。
 「君の生活がどんなにみすぼらしかったとしても、その生活に向き合え。その生活を生きよ」。「静かで落ち着いた心の持ち主であれば、たとえ救貧院にいても宮殿に住んでいるのとまったく変わりがないだろう」。
 そしてさらに・・・

                       (つづく)
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