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お勉強 (05/11)
対立者を排除するのは、個人の自由の否定である。 [2021年06月16日(Wed)]
(40)
 暴力を使うということは、それによって敵対者を抑え付けたり、あるいは滅ぼしてしまったりして、必然的に異なる意見や立場の者を排除することになります。それは結局、個人の自由を否定することではありませんか。
 すべての個人が本当に自由に生きられるのは、純粋なアヒンサーの社会体制の中でだけなのです。
 
                 (「ハリジャン」1939年5月27日)
 


 「本物の民主政治とは、真実に反した暴力的な手段では決して実現できない(39)」とガンディーは言いました。その理由は、上のように、「暴力は、自分と異なる立場や意見を持つ者の自由を否定することになるから」です。
 つまり、ガンディーの考える民主政治とは、「すべての人の自由が尊ばれ、保障される社会体制」のことなのです。単に形式的に政治家を選ぶ選挙が行われればいいわけではありません。選挙で多数を占めれば、それ以外の意見や要求を無視しても良いというわけでもありません。
 言い換えれば、多数派に属する人々の権利が守られるのが民主政治なのではなくて、すべての人の権利が尊重されるのでなければまったく民主政治の名に値しないということだと思います。
 そして、暴力というのは自分と敵対する他者の権利を否定して自分の利益や希望のみを追求する態度です。だから、暴力を伴う政治は決して真の民主政治ではありえないのです。
 
本物の民主政治とは、真実に反した暴力的な手段では決して実現できません。 [2021年06月15日(Tue)]
(39)
 本物の民主政治とは、すなわち大衆にとっての自治です。それは、真実に反した暴力的な手段では決して実現できません。
 その理由はとても単純です。
 ・・・



 「我々のスワラージは、真実とアヒンサーを通じてしか手に入れることも活かすことも保ち続けることもできない(38)」と語った後、ガンディーは「本物の民主主義とは、大衆にとっての自治(Swaraj of the masses)である」と述べます。
 彼にとって、「スワラージ(自治)」というのは「民族的独立」と「民主政治」を共に含んだ概念なのです。そのことは、「ヒンド=スワラージ」の中でも述べられていました。((649)など)
 そしてさらに、「大衆の自治は、暴力的な手段によっては実現しない」と断言するのです。つまり、「専制的・独裁的・強権的な政府を打倒するための暴力闘争」も完全に否定しているのです。
 果たして、その理由とは・・・
スワラージは、真実とアヒンサーを通じてしか・・・。 [2021年06月14日(Mon)]
(38)
 私の考えでは、スワラージを実現するために絶対に欠かせない条件があります。それは、「我々のスワラージは、真実とアヒンサーを通じてしか手に入れることも活かすことも保ち続けることもできない」ということを我々全員が固く信じるようになることです。
 ・・・

 

 これも、スワラージ(自治)についてのガンディーの意見です。(24)で「プールナ=スワラージは、真実と非暴力という意味を含んでいる」と言っていましたが、これもほぼ同じ趣旨だと思われます。ただ、ここでは「非暴力」の代わりに「アヒンサー」という用語が使われています。
 アヒンサーとは不殺生という意味で、絶対的な生命尊重、徹底的な非暴力です。これについては、「ヒンド=スワラージ」の中にも何度も出て来ましたね
 つまり、スワラージを求める運動は絶対的な非暴力的手段で、決して暴力に訴えるのではなく、真理の力によるものでなければならないということでしょう。
 そして・・・
スワラージの正方形。 [2021年06月13日(Sun)]
(37)
 これら4つの目標を、スワラージの正方形と呼ぶことにしましょう。
 その角は、すべて直角でなければなりません。もしも、いずれかの角が不正確であれば、正方形全体の形も崩れてしまうのです。

                 (「ハリジャン」1937年2月1日)



 スワラージ(自治)には、4つの目標があるのだそうです。それは、「政治的独立と経済的独立(35)」、そして、「道徳的・社会的な面における目標とダルマ(36)」なのだそうです。
 この4つを「自治の正方形」と呼ぼうとガンディーは言っています。そして、この4つの角はすべて正確な直角でなければならないそうです。つまり、この4つの目標はどれに偏ることもなく、すべてが完全に、調和的に満たされなければならないということです。
 スワラージ(自治)というものを、彼があらゆる観点から総合的に考察していたことが分かりますね。
ダルマ。 [2021年06月12日(Sat)]
(36)
 しかし、スワラージにはほかにも2つの目標があるのです。その1つは、道徳的・社会的な面における目標です。そして、もう一方の側にあるのは、ダルマです。
 ダルマとは、つまり宗教です。宗教と言っても様々な解釈があるでしょうが、その言葉を最も崇高な意味で用いた場合の宗教です。ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、その他すべての宗教を含み、しかもそれらを超えた普遍的な宗教です。
 ・・・



 「スワラージ(自治)は、政治的独立と経済的独立という2つの目標を持っている(35)」と述べた後、ガンディーは、「さらに、あと2つの目標がある」と言います。
 その1つは、道徳的・社会的な面における目標です。それはまあ、理解できるとして、もう1つの目標は何かと言うと、「ダルマ」なのだそうです。
 ダルマとは、ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教・シク教などのインドの宗教における主要な概念となっている言葉ですが、その意味はとても複雑で簡単には言い表せないようです。仏教では、三宝の一つである「法」がダルマです。法と言っても人間が定める法ではなくて、すべての人が行動の拠り所とし規範とすべき最高の法則・真理のことのようです。
 このダルマを、ここでは「すべての宗教に共通する普遍的な真理の法」というような意味でガンディーに用いているようです。彼自身はヒンドゥー教徒ですが、「すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教」というべきものを想定しているのです。
 そして・・・
政治的独立と経済的独立。 [2021年06月11日(Fri)]
(35)
 私がスワラージをどう考えているかについて、誤解のないように改めて述べておきたいと思います。
 それは、外国人による支配から完全に独立することであり、また経済的な面でも完全な独立を果たすことです。だから、あなたたちは政治的独立と経済的独立の2つの目標を持っていると言えます。
 ・・・



 「プールナ=スワラージの目標を達成するために政治的な力は必要ない(34)」とガンディーは言いました。しかし、このような主張に対しては、「では、政治的な独立は目指さなくてもいいのか?」という反論が当然出て来るでしょう。
 恐らく、このような誤解を招かないように、ガンディーはスワラージについての自らの考えを包括的に論述しようとしているのだと思います。もちろん、政治的な独立も重要な目標であると彼は考えているのです。
 さて、ここで注目されるのは、彼が政治的独立だけでなく経済的独立についても言及していることです。実際、第2次世界大戦後にアジア・アフリカの旧植民地は次々に政治的独立を果たしていったのですが、経済的には依然として先進国の大資本に支配され、従属や搾取を受けざるを得なかった国が多いようです。そのような問題点をガンディーは独立運動の過程で早くも見通して、「政治的独立だけでなく、経済的な独立も是非とも達成すべき目標として意識しなければならない」と明言するのです。
 しかし、ガンディーが考えるスワラージの目標はこの2つだけではありません。
 ・・・
政治的な力は必要ない。 [2021年06月10日(Thu)]
(34)
 また、もし我々がプールナ=スワラージによって実現しようとする目標が、社会の調和や、内外からの攻撃を受ける心配がなくなることや、大衆の経済的な状態の改善が進むことだとするならば、我々は政治的な力を用いなくてもそれを達成することができます。プールナ=スワラージの力に従って、各自が直接行動すればよいのです。

               (「ヤングインディア」1931年6月18日)


 
 「プールナ=スワラージの意味と目標は何か?(32)」という自らの問題提起を受けて、ガンディーは「プールナ=スワラージ」の目標について確認します。それらのことは、政治的な独立を果たして主権国家となり、その主権国家としての政治権力を行使しなければ実現しないと思われるかもしれません。しかし、そうではないとガンディーは言うのです。
 各自の行動によって、それらの行動の相互作用によって、プールナ=スワラージの目標は達成することができるとガンディーは断言するのです。なお、「プールナ=スワラージの力」とは何かと言えば、それはやはり「真実と非暴力(24)」だと思います。
 そして・・・
プールナ=スワラージが大衆の目覚めを意味するならば・・・。 [2021年06月09日(Wed)]
(33)
 プールナ=スワラージとは、大衆の目覚めを意味する。もしそう考えるならば、それは彼らが真に自分たちのためになることは何かを悟ることであり、そしてその真の利益のために全世界に対抗してでも努力できるようになることです。
 ・・・


 
 「プールナ=スワラージの意味と目標は何か?(32)」という問い掛けをした後、ガンディーはまず、「プールナ=スワラージ」の意味について、「それは、大衆の目覚めを意味する」という見解を示します。確かに、自治を実現するためには多数のインド人民衆による自覚的な民族運動が持続的になされることが不可欠です。だから、「完全な自治とは、すなわち大衆の目覚めのことである」という表現になるのでしょう。
 では、「大衆の目覚め」とは一体どういうことなのでしょうか? ガンディーは、「真に自分たちのためになることは何かを悟ること」だと言っています。
 「真に自分たちのためになること」とは何でしょうか? 「ヒンド=スワラージ」の中にあった自分の義務を果たすのは、自分自身に奉仕することになるというような言葉から推察すると、恐らく「自分自身の義務を果たすこと」ということになるのではないかと思います。
 そして・・・
プールナ=スワラージの意味と目標。 [2021年06月08日(Tue)]
 (32)
 プールナ=スワラージという言葉にどんな意味を込めるか。また、それによって何を実現しようとするのか。すべてはそれにかかっています。
 ・・・


 
 これも、「プールナ=スワラージ(完全な自治・独立)」についてのガンディーの意見です。
 プールナ=スワラージの意味と目標、それはもちろん、「インドが完全な自治を実現すること」なのですが、ここで彼が問題提起しているのは、「インドが完全な自治を勝ち取るために、具体的にどのようなヴィジョンを持って運動を展開していくのか、そして、その運動の究極的な目標としてどのような状態を目指すのかということだと思います。
 ・・・
実践はいつも理論通りには行かない。 [2021年06月07日(Mon)]
(31)
 もちろん、実践はいつも理論通りには行きません。それは、ユークリッド幾何学の理論的な直線を実際に引くことができないのと同様です。
 そこで、次のように言うことができるでしょう。完全な独立がどこまで真に完全でありうるかは、真実と非暴力という理想に我々がどこまで実践において近づくことができるかにかかっているのです。

                  (「建設的な計画」1961年)



 「真実と非暴力によって達成される完全な独立とは、誰も取り残されない独立でなければならない」とガンディーは言います。
 しかし、それはあくまでも理念的な話です。「完全な平等」というのが目指すべき理想であることは間違いないとしても、現実には非常に解決が困難な差別が無数にあり、決して理想通りではないことは彼も十分に理解しています。けれども、だからと言って理想を放棄してはいけないというのが彼の考えなのです。
 ここで、ユークリッドが出て来ました。ユークリッドとは、古代ギリシャの数学者です。ギリシャ語では、エウクレイデスと読むそうです。彼は、それまでの数学の成果を集大成して「幾何学原本」(または「原論」)という本にまとめ、後世に大きな影響を与えました。ガンディーも、恐らくイギリス留学時代にユークリッド原論で幾何学を学んだのでしょう。
 さて、その「原論」には、「線とは幅のない長さである」と定義されているそうです。確かに、実際にそれを描くことは不可能ですね。しかし、理念的にそのようなものを想定することは学問的に有効なのです。そして、このような理論的な探求活動の結果として現実的な利益をもたらす成果が無数に導き出されてきたことは周知の事実でしょう。
 そして・・・
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