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文明に毒された国民を正常な状態に立ち返らせようとする団体。 [2018年08月04日(Sat)]
(188)
 そうしたことについて、これまでに何冊もの本が書かれています。
 また、文明に毒された国民を正常な状態に立ち返らせようとする団体もいくつか結成されています。



 「今日文明と呼ばれているものは実は文明にあらざるものである。イギリス人の著作家たちの中にもそのように主張している人々がいる」(187)という話の続きです。
 イギリスでは文明批判の本が書かれているということですが、そのうちの1冊は後で具体的に詳しく言及されます。
 また、イギリス人ではありませんが、アメリカのソローは「ウォールデン(森の生活)」などで根源的・本質的な文明批判を展開しています。この「ヒンド・スワラージ」という本でも、参考文献としてソローの著作2篇(「市民の反抗」と「原則のない生活」)が挙げられているので、ガンディーがソローから思想的な影響を受けていたことは確実です。
 また、「文明に毒された国民を正常な状態に立ち返らせようとする団体もいくつか結成されている」と彼は言っています。ガンディーは学生時代に数年間イギリスで暮らしていたので、これは恐らく実際の見聞に基づいた記述だと思われます。
 果たしてそれがどんな団体で、どれだけの期間、どのような活動をしたのかは分かりませんが、恐らく当時も既に文明の弊害が徐々に表面化してきていたのでしょうね。
 さらに、ガンディーは・・・
今日文明と呼ばれているものは、実は文明にあらざるものである。 [2018年08月03日(Fri)]
(187)
<編集長>
 それは、私がどう考えているという問題ではありません。
 今日文明という名の下で通用している事柄は、実際には文明と呼ばれるべきものではない。イギリス人の著作家たちの中にもそのように主張している人々が何人もいるのです。



 若い読者から「文明という言葉をあなたがどのような意味で用いているのかを説明してください」と求められた編集長(ガンディー)は上のように回答します。
 ガンディーの見解は「今日文明と呼ばれているものは、実は文明にあらざるものである」ということなのですが、「それは決して自分だけの考えではなく、イギリス人の多くの著作家たちも同様のことを主張している」と彼は言うのです。
 厳密に言えば、「『文明』という言葉の定義をしてほしい」という若者の要望に彼は答えていません。しかし、「文明とは何か」という問題はもう少し後で詳しく述べられます。
 その前に、「世界最先端の文明国・イギリス人も(だからこそ)、文明を批判的に見ている人々がたくさんいる」ということをまず彼は強調するのです。
 さらに続けて・・・
あなたのおっしゃる文明とは・・・。 [2018年08月02日(Thu)]
第6章 文明
(186)
<読者>
 そのようにおっしゃるのであれば、文明という言葉をあなたがどのような意味で用いているのかを説明していただく必要があると思います。



 「文明というのは名ばかりであり、文明という名の下でヨーロッパの諸国民は日に日に劣化させられ、荒廃への道を突き進んでいる(185)」というガンディーの発言に対する若い読者の反応です。
 これは、なかなか冷静で的確な質問だと思います。なぜなら、「ヨーロッパの文明は文明の名に値するか、否か」とか「文明は人間社会を良くしているのか、悪くしているのか」とか、そういう議論を不用意に始めてしまうと、しばしば不毛な「水掛け論」「意見のすれ違い」「堂々巡り」「非難の応酬」などに陥ってしまいがちだからです。
 だから、まずは「文明」という言葉の定義を再確認しておこう。相手の意見に賛成するか反対するか、それはその後に表明することにしよう。きっとこのように若者は考えたのだと思います。
 この問いに対して、ガンディーは・・・
文明というのは名ばかり。 [2018年08月01日(Wed)]
(185)
 文明という名の下で、しかし、文明というのは名ばかりなのですが、ヨーロッパの諸国民は日に日に劣化させられ、荒廃への道を突き進んでいるのです。



 ガンディーはここまでイギリスの議会制民主主義を批判してきましたが、彼が批判していたのは議会政治だけでなく、ヨーロッパで生まれた近代文明そのものだったのです。
 「文明」というのは、英語では"civilization"です。日本語の「文明」はその訳語ですが、「人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態」という意味で使われています。明治時代には、「文明開化」という言葉が流行語になったそうです。
 つまり、文明というのは人間にとってより良い状態をもたらすはずのものなのです。少なくとも、常識的にはそう考えられる概念です。
 ちなみに、ガンディーが生まれたのは明治維新の翌年、この本が書かれたのは日露戦争の直後です。その頃は、もちろん地球規模の環境問題や生態系破壊は深刻化していませんし、核戦争や原発事故もありません。文明の発達は無条件に望ましいものであり、疑いなくより良い未来を約束してくれるものであったのです。
 ところがガンディーは、「文明と呼ばれているものは名ばかりの文明だ。それは人間を賢く豊かにしているのではなく、むしろ反対に劣化させ荒廃させている」と言うのです。
 これで、第5章(イギリスの状態)は終わりです。次章からは、いよいよ本格的な近代文明批判に入っていきます。どうぞお楽しみに。
 
この状態をもたらした原因は、現代文明である。 [2018年07月30日(Mon)]
(184)
<編集長>
 それは、イギリス国民が顕著な欠陥を持っているからではありません。イギリス国民のこの悲惨な状態は、まさに現代文明のせいなのです。



 イギリスの議会政治を痛烈に批判してきたガンディーは、「イギリスのこのような状態を引き起こした元凶は一体何ですか?」という若者の質問(183)に答えて上のように答えます。
 今までの記述は主として「イギリスの政治は決して望ましいものではない。むしろ、非常に悪い状態である」ということに重点が置かれていたようですが、どうやら、イギリスのこの悪い状態は政治に限定されたことではないようなのです。
 ガンディーは、「イギリス国民のこの悲惨な状態は、まさに現代文明のせいなだ」と言っています。そうなのです。この対話は、いよいよここから本格的な現代文明批判に入っていくのです。
 ・・・
イギリスのこのような状態を引き起こした元凶は? [2018年07月29日(Sun)]
(183)
<読者>
 イギリスのこのような状態を引き起こした元凶は一体何だと思われますか?



 イギリスの議会政治に対するガンディーの批判を聞いて、若い読者は「イギリスは決して見習うべき手本ではない。むしろ、インドがそのようになってはならない反面教師である」という彼の主張を理解したようです。ガンディーは、(136)
からこの直前の(182)までずっとそのことを詳細に論証していたのです。
 「では、どうしてそうなってしまったのだろうか?」
 そのような疑問を若者は抱いたようです。それで、「イギリスの状態がひどいものだということは分かりました。でも、その原因は果たして何なのでしょうか?」とガンディーに質問するのです。
 さて、その答えは・・・
インドがイギリスを模倣したとすれば、その結果はきっと・・・。 [2018年07月28日(Sat)]
(182)
 もしもインドがイギリスを模倣したとすれば、その結果はきっとこの国を破滅へ導くことになるだろうと私ははっきり確信しています。



 イギリスの議会制民主主義を批判するガンディーの発言の続きです。
 「イギリスは決して他国民が模範にするべき国ではない」と語ったガンディーは、続けて上のような結論を導きます。これは、「ぼくたちが彼らの制度を取り入れようとするのは当然(129)」という若い読者の見解と正反対です。
 つまり、ガンディーはこの長い長い演説によって若者を徹底的に論破したことになります。
 この結論を聞いた若者は・・・
 
イギリス人がその他のすべての徳を兼ね備えているというわけでない。 [2018年07月27日(Fri)]
(181)
 けれども、だからと言ってイギリス人がその他のすべての徳を兼ね備えているというわけではありませんし、他国民がそれを見習うべきだということにもなりません。



 イギリスの議会制民主主義の腐敗・堕落・矛盾・不毛さをガンディーは厳しく批判します。しまし、決して彼はアンチ・イギリスではないのです。「イギリス人は信用できない。すべてのイギリス人をインドから追い出さなければならない」という若者に対して「すべてのイギリス人が悪いというわけではない(49)」という公正中立な態度がガンディーの基本的立場だったのです。
 イギリス人にも優れた点があるということをガンディーもきちんと認めます。それは、「イギリス人は自分たちの利益を守る(180)」ということでした。ただ、これは「美徳」とは言えないかもしれませんね。
 少なくとも、世界中の国々が模範にすべき国ではないとガンディーは言うのです。それは決して彼がイギリスを嫌っているから言うのではありません。中立的な立場から、こう述べているのです。
 さらに・・・
誰かが悪い目を向けたとしたら、その目を・・・。 [2018年07月26日(Thu)]
(180)
 イギリス人は確かにある一つの特質をとても強く発達させています。それは、自国が損失を蒙るようなことを決して許さないということです。
 もしも誰かがイギリスに悪い目を向けたとしたら、イギリス人たちはきっとその目を引き抜いてしまうでしょう。



 イギリスの議会政治を徹底的に酷評した後、ガンディーは「イギリス人は良い性質も持っている」と言っています。
 それは、上にあるように、「イギリス人は自国の利益を確保する術を知っている」ということだそうです。もちろん誰だって自分の国が損失を被るようなことを喜んで受け入れはしないでしょう。しかし、いろいろな事情や要因によって、多くの国民が自国の利益に反することを許してしまうのです。
 考えられる原因としては、「『国民』という意識が定着しておらず、国全体の利益よりも個人あるいは共同体の利害・感情を優先してしまう」「外交能力が劣り、あるいは外交感覚が弱く、外国との駆け引きにおいて勝つことができない」「世事に疎く、お人好しで、生き馬の目を抜くような激しい競争社会に順応できない」などが考えられます。
 要するに、イギリスはそうではなかったわけです。理論よりも損得、ロマンよりも実益、義理人情よりも自分の成功というような態度が比較的よく身についた国民だったのかもしれませんね。
 このように、イギリス人にも優れた点があることを認めた上で、ガンディーは・・・

国民の意識が低ければ、議会も・・・。 [2018年07月25日(Wed)]
(179)
 国民がそういうふうなのですから、彼らの代表者で構成される議会も同じようなあり様になるわけです。



 イギリスの国民を「真実を伝えない新聞から得られる情報によって自分の政治的立場を決めている」、「世論が頻繁に変わって一貫性・統一性がない」と批判したガンディーは、上のように結論します。
 つまり、選挙によって選出される議員は必ずしも政治家として最良の人物とは限らない。国民各自が賢明で公徳心に満ち、主権者としての責任をきちんと自覚した上で自分たちの代表として最もふさわしい人物を議会に送り出し、そのような人たちをずっと見守り支えていくなら良いが、決してそうではない場合も多いのではないか。
 もしも国民が確固とした政治的信念を持たず、単なる印象、ムード、私的な好悪や利害、その他の理由で議員を選ぶのなら、そのような選挙で多数の票を集めて当選するのは決して賢明でも有徳でもなく、主体的な意思も責任感もなく、道義心や品格も優れているとは言えない人物になってしまうのではないか。
 多分、このようにガンディーは言いいたいのではないでしょうか?
 しかし・・・