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お勉強 (05/11)
自治とは何かという質問に、私はまだ答えていない。 [2018年09月25日(Tue)]
(238)
<編集長>
 あなたの質問に答えるのはそれほど難しいことではありません。
 また、今の私たちには自治の本質について話し合うことだって可能でしょう。その質問に答える義務をまだ私は果たしていませんからね。



 「病人であるイギリスがインドを植民地支配しているのはなぜか?」という若い読者の質問(237)に、ガンディーは上のように応答します。
 ここでどうして「自治」が出て来るのかと言うと、前の章(第6章 文明)では現代文明を、その前の章(第5章 イギリスの状態)ではイギリスの議会制民主主義を批判していたガンディーですが、さらにその前の章(第4章 自治とは何か?)では「自治についてのあなたの意見を聞かせてください」という問いを受けていたにもかかわらず回答を保留していたのでした。(133)
 決して彼は、そのことを忘れてはいなかったのです。そして、自分にはその質問に答えなければならない義務があると認識していたのです。
 しかし・・・

どうして病人であるイギリスがインドを植民地として獲得することができたのか? [2018年09月24日(Mon)]
(237)
 しかし、一つの疑問が即座に浮かんでしまいました。それを言わせてください。
 もし、文明というものが一種の病気であり、イギリスがその病気を患っているのなら、どうして病人であるイギリスがインドを植民地として獲得することができたのでしょう? そして、今もなお支配し続けることができているのでしょう?



 「現代文明は一種の病気のようなものである」というガンディーの見解を聞いて、若い読者は概ねその趣旨に賛同するのですが、一方で疑問に感じる点も出て来たというのです。
 確かに、文明というのものが病気のようなものだとすれば、そしてイギリスがその病気に罹患しているのだとすれば、イギリスはその病気のために弱っているはずです。病気というのは生命体にとって良くない状態、場合によっては危機的な状態、少なくとも、その持てる力を十分に発揮することが困難な状態だと言えるでしょうからね。
 なのに、イギリスはインドを植民地化することに成功した。そして、今もなおインドを支配している。ということは、イギリスの力はインドに勝っているということではないか。病人が健康な人間に勝利を収め、病人が健康な人間を支配下に置く。これは一体どういうことなのか?
 このような疑問を若い読者はガンディーにぶつけたのです。
 これに対して、ガンディーは・・・
ヨーロッパの国々から何を採り入れ、何を採り入れるべきでないのか? [2018年09月23日(Sun)]
第7章 インドはなぜ滅びたか?
(236)
<読者>
 文明についてぼくが熟考するに当たって役立つお話をあなたは十分にしてくださいました。
 ヨーロッパの国々から何を採り入れるべきであり、そして何を採り入れないようにするべきなのか、ぼくには今よく分かりません。



 ここから新しい章に入ります。
 ガンディーのとても長い現代文明批判を聞いた、若い読者の反応です。当時、文明国と考えられていたのは欧米諸国だけであり、アジアの国々は懸命にヨーロッパから学び、ヨーロッパを模倣しようと努めていたのです。
 その中で、最も成功していたのが日本であったと言えるでしょう。しかし、ガンディーによれば、それは「模倣すべきでないものを模倣し、採り入れるべきでないものを採り入れ、変わってはいけない方向に変わってしまった」ということになるのかもしれません。
 この若者は、ガンディーの話にかなり納得したようです。
 ところが、彼は・・・

文明は不治の病ではない。 [2018年09月22日(Sat)]
(235)
 文明は不治の病ではありません。
 しかし、このことを忘れてはいけません。イギリス人たちは、今まさに文明によって苦しめられているのです。 



 ガンディーの文明批判の締めくくりきです。
 この章(第6章 文明)の初めの方で、彼はエドワード=カーペンターという人の「文明 その原因と治療法」という著作を紹介し、「現代文明は一種の病気である」という見解を支持していたのです。(189)
 しかし、文明という病は決して不治の病ではない。適切な対処をすれば必ず克服することができる。そのように彼は信じていたのです。
 だから、(234)では、「イギリス人たちはきっと現代文明を超克していくことができるだろう」という希望を表明していたのでした。
 つまり、現代文明についてのガンディーの意見はこういうことです。
 現代文明は一種の病気である。それは人間にとって不健全で、人々の生命を損なう状態である。しかし、この文明という病を癒し、人間性の回復を図ることは可能である。だから、人類は文明という病気の悪化を防ぎ、一日も早くこれを克服できるように努力すべきである。
 この話を聞いた若い読者は・・・
イギリス人は勤勉で、進取の精神に富んでいます。 [2018年09月21日(Fri)]
(234)
 イギリス人は賢明な国民です。だから私は、彼らがこの邪悪な文明を捨て去る時がやがて来るだろうと信じています。
 イギリス人は勤勉で、進取の精神に富んでいます。そして、彼らのものの考え方は決して根っから不道徳というわけではないのです。また、彼らは心の底から悪に染まっているのでもありません。だから、私は彼らに尊敬を払うのです。



 当時の世界で最も豊かで、軍事的にも政治的にも中心的な地位を占めている超大国で、しかも科学技術や文化の面でも世界最高と思われていた国、イギリスのことをガンディーは徹底的に批判します。しかし、決して彼はイギリスを嫌っているわけでもイギリスを敵視しているのでもありません。彼はあくまでも現代文明を批判しているのです。その頃の世界ではイギリスが文明の最先端を走る先進国だったから、どうしてもイギリス社会を厳しく批判することになったのです。
 ガンディーにとって、イギリス人はむしろ文明によって非人間的な生活を強いられ、人間としての力を喪失させられ、そうして多くの苦しみを味わわされている憐れむべき存在なのです。
 しかし、「このようなイギリスの状態は文明によってもたらされたものであり、決してイギリス人の元来の性質から引き起こされているのではない」という見解を彼は示します。文明の悪しき影響を除けば、イギリス人は賢明で、勤勉で、進取の精神に富んでいる。だから自分は彼らに敬意を払う。そのようにガンディーは言うのです。
 そして・・・
議会はまさに奴隷制の象徴である。 [2018年09月20日(Thu)]
(233)
 議会などというものは、実は奴隷制の象徴なのです。
 議会について深く理解するようになれば、あなたもきっと同じ結論に到達するに違いありません。そして、イギリス人を批判しようとはもう思わなくなるでしょう。
 彼らは、むしろ同情してやるべき存在なのです。



 ガンディーの文明批判の続きです。なぜここで突然議会が出て来るのかは分かりませんが、前の章(第5章 イギリスの状態)で、彼はかなり力を込めてイギリスの議会制民主主義を批判していたのでした。(155)では「議会なんてものは国家にとってただの高価なおもちゃに過ぎない」と酷評していたし、(158)では「イギリスの議会は一体いつになったらそれは赤ん坊の次の段階へ成長できるのか?」と皮肉を言っていましたね。
 そして今回は、「議会は奴隷制の象徴」と言っています。「どうして奴隷制が出て来るのか? 20世紀初頭のイギリス国民は奴隷ではなかったはずなのに」と不思議に思う人もいるでしょう。これは、「イギリスの人民が自由なのは議会の議員を選挙する間だけであり、選挙が終われば人民はもはや奴隷である」(147)というルソーの発言を念頭に置いた発言なのかもしれません。
 それから、「あなたもイギリス人を批判しようとはもう思わなくなるでしょう」と言っているのは、前の前の章(第4章 自治とは何か?)まで、若い読者は極めて激しくイギリスを非難していたからです。
 さらに続けて、ガンディーは・・・
現代文明を避けよ。 [2018年09月19日(Wed)]
(232) 
 文明というものが一体どんなものであるか。それをすべてあなたに語り尽くすことはできません。
 現代文明は必ず避けなければなりません。イギリス国民を見てみなさい。それによって彼らは自らの生命力を侵食されつつあるのですから。



 ガンディーの文明批判もいよいよ最終盤を迎えているようです。ここまで散々に現代文明を批判してきたガンディーですが、まだまだ言い尽くすことはできないようです。しかし、文明というものが決して好ましいものではなく、だからもちろん求めるべきものでもない。むしろ、避けるべきものである。それはもう相手も納得してくれるだろうと思ったのでしょう。
 そこで彼は、「文明を避けよ」と強く若者に勧告するのです。当時、文明の最先端を走っていたのはイギリスです。そのイギリスは決して目指すべき目標でも見習うべきお手本でもなく、決してそうなってはいけないという反面教師であると彼は言うのです。
 「イギリス人たちは文明によって生命力を侵食されつつある」。ここではこのように表現されています。同様のことが、(185)では「文明という名の下でヨーロッパの諸国民は日に日に劣化させられ、荒廃への道を突き進んでいる」と書かれていましたし、(223)では「ヨーロッパの人々は文明に支配され、文明の中で半ば狂ってしまっている」とまで書かれていましたね。
 さらに、ガンディーは・・・
暗黒時代。 [2018年09月18日(Tue)]
(231)
 また、ヒンドゥー教では、このような世の中を暗黒時代と呼んでいます。


 
 ガンディーの文明批判の続きです。「マホメッドの教え(イスラム教)によれば、これはまさに悪魔の文明である(230)」と述べた後、「ヒンドゥー教の立場から見ても、現代文明は非常に悪しき世の中であると言わざるを得ない」という見解を示します。彼自身は、ヒンドゥー教徒です。
 さて、ヒンドゥー教では「この世には春夏秋冬のように4つのサイクルがある」と考えるそうです。すなわち、4つの「ユガ(時代)」が1サイクルとして繰り返しているというのです。1サイクルは、合計が432万年なのだそうです。
 最初の時代は、「サテャユガ」(真実の時代、黄金時代)、正法が生き生きとしている時代で、「クルタユガ」とも呼ばれます。(1,728,000年)
 次は、「トレーターユガ」、正法が四分の一欠け、四分の三が残っている時代です。(1,296,000年)
 その次は、「ドゥヴァーパラユガ」、正法が三分の二欠けた時代、疑惑・不確実性の時代です。(864,000年)
 そして最後が、「カリユガ」(争いの時代、暗黒時代)、正法が四分の一しか残っていない時代です。(432,000年)
 現代はどうなのかと言うと、紀元前3102年からカリユガなのだそうです。まさに、文明の時代が暗黒時代なのですね。
 仏教の「末法」に似ています。また、ギリシャにおいても「黄金時代」「白銀時代」「青銅時代」「鉄の時代」と下るにつれて人間は堕落していったと考えられているそうです。(ギリシャの「黄金時代」については、ソローの「森の生活(ウォールデン)」の中にも出て来ましたね。
 さらに、ガンディーは・・・

これは、悪魔の文明である。 [2018年09月17日(Mon)]
(230)
 マホメッドの教えによれば、これはまさに悪魔の文明と考えられるでしょう。



 ガンディーの文明批判の続きです。
 彼が”Mahomed”(マホメッド)と表記している人物は、イスラム教の開祖、預言者ムハンマドのことです。最近は、アラビア語に近い「ムハンマド(Muḥammad)」という発音・表記が用いられることが多くなっています。
 イスラム教では、悪魔のことを「シャイターン」または「イブリース」と呼ぶそうです。要するに、神に逆らう意志・勢力ということだと思います。
 さて、ガンディーはヒンドゥー教徒ですが、イスラム教のことも学んでいたのでしょうか。あるいは、インド人の中にもイスラム教徒は多いので、彼らとの接触によりイスラム教に関する知識を得たのでしょうか。それは分かりませんが、イスラムの教義やムハンマドの教えについてもきっと造詣が深かったのでしょう。そして、「イスラムの教えから見ても、現代文明は神によって命じられている人間の道に反している」と彼は考えたのでしょうね。
 そしてまた・・・
それは自己破壊である。 [2018年09月15日(Sat)]
(229)
 現代の文明とはこのようなものです。人々は何もしなくてよい。ただ、どんなに非人間的な状況でも耐え凌げさえすればよいのです。
 しかし、それはそれすなわち自己破壊にほかなりません。



 ガンディーの文明批判の続きです。女性の雇用労働の増加とその非人間性の告発の次は、再び現代文明そのものの総括的批判に戻ります。
 この文明は、人々に安楽を与えます。人々もまた、安楽を求めます。その結果、「人間は何もしなくてよい」状況に限りなく近付いて行くのです。ところが、それが人間にとって本当に安楽な状態かと言うと、決してそうではないのです。(221)では、そのことが「文明の無残な失敗」と表現されていましたね。
 それにしても、「人間は何もしなくていい」のに「非人間的な状況でも耐え凌げる力」が要求されるというのはとても奇妙に思えます。この部分は、原文では「人は忍耐強くありさえすればよい」と書かれています。
 「人間が何もしなくていい」ということは、つまり「あらゆる場面において人間が受け身の存在になる」ということです。「人間の仕事を機械がやってくれる」ということは「人間の主体性を機械に奪われる」ということかもしれませんし、「人間の生活が機械によって規定される」ということかもしれません。
 また、ソローが指摘しているように、便利な生活を享受するためにはその代価を支払わなければなりません。つまり、人間の生活が便利になればなるほど、生活に必要な労働は増えていくのです。しかも、その労働は人間の本来の生活と離れた、単にお金を稼ぐということ以外には意味のないものになっていきます。自らの労働によって生み出された価値がそのまま自分のものになるのであれば、労働が苦しみになることも疎外になることもないでしょう。しかし、労働がお金を得るための手段になれば、それはどうしても非人間的なものにならざるを得ないのではないでしょうか?
 だから、文明人はそのような非人間的な労働や生活に耐えなければなりません。ただ、安楽を求めることによって虚弱になってしまった文明人(224)は、意志の力で耐えるというよりは鈍感になることによって、つまり非人間的な状況を非人間的だと感じなくなることによって受け入れるしかないのです。
 そのことを、ガンディーは「自己破壊」と呼んでいるのではないでしょうか。
 さらに・・・