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すべての宗教に共通する教え。 [2018年11月14日(Wed)]
(288)
 ヒンドゥー教、イスラム教、ゾロアスター教、キリスト教、その他すべての宗教はこう教えています。
 


 ガンディーの話の続きです。
 「ヨーロッパ人は勤勉で、インド人は怠け者だ」という話から、再び宗教についての言及に戻って来ました。
 ガンディーがここで言っている宗教とは、「すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教」(284)のことです。
 「ヒンドゥー教は多神教でインドの民族宗教、それに対してイスラム教やキリスト教は唯一の創造神を信仰する一神教で世界宗教」とか、「キリスト教ではイエスは神の子であり、イエスと父なる神と聖霊は三位一体である。しかし、イスラム教ではイエスの神性は認めない。イスラム教ではムハンマドが最後にして最大の預言者である」とか、「ゾロアスター教では、最後の審判を下す最高神はアフラ・マズダーである」とか、そういう違いは表面的なものに過ぎず、すべての宗教は本質的には同一の真理を人間に教えているとガンディーは主張するのです。
 さて、すべての宗教によって啓示されている普遍の法とは・・・
          
ヨーロッパ人は勤勉でインド人は怠け者だ。 [2018年11月13日(Tue)]
(287)
<編集長>
 私たちはずっとこのように言われ続けてきました。
 ヨーロッパ人は勤勉で進取の精神に富んでいる。それに比べて、インド人は怠け者だ。
 そして、私たちもそのような非難の言葉を受け入れてきました。だから、そのような自分たちの状態を改善したいと願うようになったのです。



 「インドが宗教的な国でなくなりつつあるのは嘆かわしい」と言うガンディー(282)に対して、若い読者は、「それは一体どういうことですか?」と尋ねます。
 それに対して、ガンディー(編集長)は上のように答えるのです。「どうして、宗教の話が勤勉さの話になるのか? それに、どうしてヨーロッパ人がここで出て来るのか?」と疑問に思う人もいるかもしれません。
 勤勉さと進取の精神。資本主義が発展するためには社会の中にそのような性質を持った人々がたくさんいることが不可欠だと考えられているようです。「豊かになりたい。だから、勤勉に働こう。創意工夫をして、効率化に努めよう。現状に満足せず、さらなる成功、発展を目指そう」。ヨーロッパではそのように考える人が多かったから近代化に成功したのだ。それに対して、インド人はそうでなかったから近代化が遅れてしまったのだ。きっとそんなふうに当時のヨーロッパ人は考え、インド人もそれを認めていたのでしょうね。
 しかし、それにしてもどうしてこのことが宗教に関係するのでしょうか?
 ・・・
我々が神から顔を背けているとは、一体どういうことなのか? [2018年11月12日(Mon)]
(286)
<読者>
 それは、どういうことでしょうか?



 「インドの状態についてご意見を聞かせてください」という若い読者の要望に応えて、ガンディー(編集長)は、「我が国の現状は実に悲しむべきものです」と述べます(279)。とりわけ、「インドが宗教的な国でなくなりつつある」という点を最も嘆かわしいこととして真っ先に彼は挙げたのでした。
 「私たちは、神から顔を背けている。これではいけない。私たちは、常に神の示す真理を見つめていなければならない。神の指し示す方向に向かって進み続けなければならない。神の声に耳を傾けていなければならない」というふうに彼は言いたかったのでしょう。
 その答えは、若い読者にとっては予想外のものだったようです。だから思わず、「それは一体どういうことでしょうか?」と彼は問い返さないではいられなかったのではないでしょうか。
 これに対して、ガンディーは・・・
                         (つづく)
私たちは神から顔を背けている。 [2018年11月11日(Sun)]
(285)
 私たちは、神から顔を背けています。



 ガンディーの話の続きです。
 「インドは宗教的な国でなくなりつつある」と言って彼は大いに嘆いています(282)。そして、上のように述べるのです。
 「神から顔を背けている」という言い方から想起されるのは、「アダムと女が、主なる神の顔を避けて・・・」(旧約聖書「創世記」第3章)や「主はカインに言われた。『どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか』」(同じく「創世記」第4章) ですが、この前の部分で「私が考えているのは、すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教だ」と彼は言っているので、これはキリスト教やユダヤ教といった特定の宗教的立場から述べられた言葉ではないでしょう。
 恐らく、ここで語られているのはすべての宗教に共通する「神(真理・絶対者・人間を超えたもの)」のことだと思います。ガンディーは、「すべての人間は、神を尊び、神を敬い、神に感謝し、神を心の拠り所とし、神を模範とし、神に導かれ、神の命じる所に従って生きなければならない」と考えているのです。にもかかわらず、多くの人々が神を顧みず、神を軽んじ、あるいは神を否定している状況を「神から顔を背けている」と表現しているのではないでしょうか。
 これに対して、若い読者は・・・
                 
すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教。 [2018年11月10日(Sat)]
(284)
 そうではなくて、すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教のことを言っているのです。
 


 宗教についてのガンディーの話の続きです。「私が不満に思うことの第一は、インドが宗教的な国でなくなりつつあるということです(282)」と述べた後、「ここで私が考えているのは、ヒンドゥー教やイスラム教やゾロアスター教のことではありません」と彼は言います。
 では何なのかと言うと、シク教とか仏教とかキリスト教とか、そういう個別の宗教のことではなくて、上に書かれているように「すべての宗教の共通基盤として存在している広い意味での宗教」のことを自分は念頭に置いているのだとガンディーは説明するのです。
 彼によれば、人間の宗教はたくさんあるが、その信仰の対象となる神(真実)は一つであるということなのです。だから、それぞれの宗教の違いは表面的なものであって決して本質的な相違ではない。それどころか、すべての宗教の基底にあるものは同一のものであり、互いに矛盾することもなければ背反することもない。そのような共通基盤があると彼は主張するのです。
 その上で、ガンディーは・・・

ヒンドゥー教でもイスラム教でもゾロアスター教でもない宗教。 [2018年11月09日(Fri)]
(283)
 ここで私が考えているのは、ヒンドゥー教やイスラム教やゾロアスター教のことではありません。



 宗教についてのガンディーの話の続きです。彼が考える宗教とは、ヒンドゥー教でもイスラム教でもゾロアスター教でもないと言っています。
 ヒンドゥー教とイスラム教については、(257)などで既に何度も言及されていますね。
 ゾロアスター教は、古代ペルシアを起源の地とする善悪二元論的な宗教です。世界最古の一神教とも言われています。開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)で、ムハンマドやイエスはもちろん、ブッダや孔子よりもずっと昔の人です。
 このようにとても古い宗教なのですが、西アジアではその後イスラム教が広がったためにゾロアスター教徒は東に逃れ、その中心地はインドになります。インドでは少数派の宗教として残ったようです。ペルシア起源なので、インドでは「パーシー教・パールシー教」と呼ばれました。
 では、ヒンドゥー教でもイスラム教でもゾロアスター教でもない宗教とは一体どういうことなのでしょうか?
 シク教(16世紀にグル=ナーナクがインドで始めた宗教)でしょうか? ジャイナ教(ブッダと同時代のインドでマハーヴィーラによって開かれた宗教)でしょうか? 仏教でしょうか? キリスト教でしょうか?
 実は・・・
 
私にとって大切なのは宗教です。 [2018年11月08日(Thu)]
(282)
 私にとって大切なのは宗教です。なので、私が不満に思うことの第一は、インドが宗教的な国でなくなりつつあるということです。



 「インドの状態」についてのガンディーの話の続きです。
 「現代文明のためにインドは散々に踏みつけられ、今でも砕けてしまいそうになっている」(280)と彼は述べていますが、そのインドの悲惨な状況の中で真っ先に言及されるのは宗教のことです。
 「第6章 文明」では、「現代のイギリス人は宗教に対して無関心になっている」ことが非常に激しく慨嘆されていました。(218)
 そしてここでは、イギリスだけでなく自分の祖国インドでさえも宗教的な国ではなくなりつつあるということをガンディーは最も悲しむべきこととして述べるのです。
 ・・・

そこから脱出するための時間はまだ残されていますが・・・。 [2018年11月07日(Wed)]
(281)
 そこから脱出するための時間はまだ残されていますが、日に日にそれは困難になっていきます。



 「インドは現代文明によって踏みつけられ、今にも砕かれてしまいそうになっている」というガンディーの話(280)の続きです。
 「そこから脱出するための時間はまだ残されている」と語っているように、まだ決して絶望的というわけではありません。しかし、「日に日にそれは困難になる」ということから、状況はかなり切迫していることが示されています。
 そうなのです。現代文明というものは、その中に深く取り込まれてしまうほど、そこから抜け出すことが困難になるのです。なぜなら、自分が文明に囚われた虜(とりこ)になっているということに気付かず、また自分の頭に文明的な考え方が染み付いてしまってもはや真実が真実と思えなくなっていることさえも自覚できなくなるからです。
 さて、ガンディーのこの言葉を読んで、「じゃあ、今の、21世紀の日本はどうなのだろう?」とぼくは考えてしまいました。
 それから、ガンディーは・・・
インドを踏みつけ、まさに砕いてしまおうとしているその足は・・・。 [2018年11月06日(Tue)]
(280)
 いろいろ考えに考えた末に到達した私の結論はこうです。
 インドは散々に踏みつけられ、今にも砕けてしまいそうです。しかし、インドを踏み砕いているその足はイギリスのものではありません。それは、現代文明のものなのです。



 「インドの現状は実に悲しむべきものです」というガンディーの話の続きです。
 インドが悲惨な状態にあるということは、イギリスによる植民地支配を受けているからではないのです。インドが踏み砕かれているのは、イギリスによってではなく現代文明によってであると彼は言うのです。
 現代文明(ただし、この本が書かれた時点での現代は20世紀初頭です)について、ガンディーはとても批判的な考えを持っていました。第6章「文明」では、当時最先端の文明国だったイギリスの状態を非常に悪い状態であると記述していましたね。
 ところが、ここで彼は、「イギリスだけでなくインドも、現代文明によって苦しめられている」と言うのです。
 それは、一体どのような点について語っているのでしょうか?
 ・・・
 
我が国の現状は実に悲しむべきもの。 [2018年11月05日(Mon)]
(279)
<編集長>
 我が国の現状は実に悲しむべきものです。そのことを考えるだけで私の目は涙で潤んでしまいますし、喉はからからに渇いてしまいます。
 自分の心中にある思いを果たして十分に分かっていただけるかどうか、私は確信が持てないでいます。



 「我が国の現状について、あなたはどう思われますか?」という若い読者の質問(278)に対して、ガンディー(編集長)は上のように答えます。彼らにとっての「我が国」とは、もちろんインドのことです。当時(20世紀初頭)のインドは、現在のインド・パキスタン・バングラデシュをすべて含んだインド亜大陸全体です。この地域は、イギリス帝国の一部(イギリスのビクトリア女王を君主とするインド帝国)になっていました。インド帝国には、現在のネパール・スリランカ・ミャンマーも含まれていましたが、実質的にはイギリスから派遣されたインド総督によって統治される植民地でした。
 このインドの状態を、ガンディーは上のように激しく慨嘆しています。この頃彼はインドを離れて南アフリカにいたのですが、それでも祖国に対する思いは消えることなく、いや、かえって祖国への愛はいっそう募り、憂慮の念はますます深く、インドのことを思っては涙を流し、喉が嗄れてしまうほどに声を上げて泣く慟哭の日々を送っていたのでしょう。
 ところが、彼が嘆いているのは「インドがイギリスの統治下にある」からではないのです。それはどういうことかと言うと・・・