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文明に内在する邪悪な本質。 [2018年12月24日(Mon)]
(328)
<編集長>
 辛抱強く話し合うことが是非ともできるようにならなければいけません。
 文明というものの中に邪悪な性質が含まれているという真実に気付くことは、あなたにとって決して容易ではないと思います。
 


 「ぼくたちが合意に達することは到底できそうにありません」という若い読者の率直かつ悲観的な見通しに対して、編集長(ガンディー)は上のように答えます。
 確かに、「分かり合うためには辛抱強さが必要である」ということは、この対話の当初((22)など)から繰り返し彼によって説かれてきたことです。
 ガンディーが語っていることは要するに文明批判ですが、「文明というものの中に含まれる邪悪な本質」はとても見えにくいものなのです。だから、それに気付くことは非常に困難であると彼は予告します。
 しかし、困難ではあっても決して不可能ではないのです。ただ、それを理解するためには辛抱強さが欠かせないということなのです。
 さらに、ガンディーは・・・
                   
ぼくたちが合意に達することは到底できそうにありません。 [2018年12月23日(Sun)]
(327)
<読者>
 今、ぼくはとても恐ろしい予感を抱いています。
 ぼくたちが合意に達することは到底できそうにありませんよ。
 だって、あなたが非難攻撃しているのは、まさにぼくたちが今まで良いと考えてきた社会制度なのですから。



 「鉄道、弁護士、そして医者。それこそがインドを貧しくしてした元凶だ!」とガンディーは言います(326)。これは、若い読者にとってまさに想像を絶する、常識に反した、そして到底理解しがたい内容だったようです。
 恐らく、インドにおいても日本の文明開化と同じように、ヨーロッパの文明(鉄道などの科学技術、整備された法律や政治制度、そして、それまで不治の病とされてきた恐ろしい病気でさえも投薬や手術によって治癒させてしまう驚異的な効果を発揮する西洋医学)に対して、当時の人々はまさに圧倒され、深い崇敬の念に満たされ、どうにかして自分たちも少しでもヨーロッパに近付きたい、ヨーロッパの文明を摂取し、ヨーロッパの文明を我が物とできるようにしたい。そのように熱望したのではないでしょうか?
 ところが、ガンディーはこれらを少しも評価しないどころか、反対に悪しきものとして痛烈に批判するのです。
 それで、若い読者はこの対話を通じてお互いが共通の認識に達する可能性について極めて悲観的な見通しを表明せざるを得なかったのです。
 これに対してガンディーは・・・
インドを貧しくした元凶は・・・? [2018年12月22日(Sat)]
(326)
<編集長>
 鉄道、弁護士、そして医者。
 それらがインドをこのように貧しくしてしまった元凶なのです。早く気付かなければ、手遅れになってしまいます。私たちはそれらのために破滅させられてしまうでしょう。



 「インドを貧しくした原因、有益と思われているが実は大いに有害なものとは果たして何でしょうか?」という若い読者の問いに、ガンディー(編集長)は上のように回答します。
 最初に挙げられていた「鉄道」はこの章のタイトルになっていましたが、後の2つ、「弁護士」と「医者」というのは意外だったのではないでしょうか?
 「鉄道」にしても、決して貧困の原因になっているとは一般に考えられないと思います。むしろ、「鉄道がない・あっても本数が少ない・優等列車が停車しない」「法律の専門家・弁護士がいない」「病院がない・あっても医師が少ない・規模が小さい」というようなことはまさに貧困の象徴であり、これらの問題は地域の貧困をさらに深刻化させるものだと認識されている場合が多いでしょう。
 ところが、ガンディーはそうした世間の常識とはまったく正反対の見解を示すのです。
 これに対して、若い読者は・・・
                         (つづく)
有益と考えられていたものが、そうは思えなくなったというのは・・・。 [2018年12月21日(Fri)]
(325)
<読者>
 それは、何のことでしょうか?



 「今までインドにとって有益であるとあなたや私が考えていたものが、もはや私にはそう思えなくなっている」とガンディー(編集長)は言いました。しかも、それは「インドの貧困の原因になっている(323)」とも言うのです。
 確かに、最も有害なものは、「決して有害ではなく、むしろ有益であるように見えて、実は有害であるもの」でしょうね。いかにも有害そうに見えるものであれば、当然人々はそれを避けようとするでしょうから。
 たとえそれが錯覚でも、勘違いでも、思い込みでも、有益であるように思えたなら、人々はまったく警戒も躊躇もなしにそれを受け入れてしまうでしょう。あるいは自ら積極的にそれを求め、他人にも薦めることでしょう。
 しかし、もしもそれが本当は有害なものであったとしたら・・・
今までは有益であると考えていたものが、もはやそうは思えない。 [2018年12月20日(Thu)]
(324)
 なぜなら、今までインドにとって有益であるとあなたや私が考えていたものが、もはや私にはそう思えなくなっているからです。
 
 


 インドの状態についてのガンディーの話の続きです。
 「インドが宗教的な国でなくなりつつある」ことに次いで、彼が取り上げようとしているのは「インドの貧困」問題です。ところが、「インドが貧困に苦しんでいる」という認識については一致しているものの、「どうしてインドが貧困に苦しまざるを得ない状況に陥っているのか」という問題構造の捉え方においてガンディーの見解は若い読者と異なっているようなのです。
 若い読者は、「インドが貧しいのはイギリス支配のせいだ(257)」と思っています。しかしガンディーは、インドが貧しい原因はそれとは別の所にあると考えているようなのです。しかも、その原因は「インドにとって有益であると思われているもの」、「ガンディー自身もそのように思っていたが、今ではそうは思えない」ものだと言うのです。
 それは果たして・・・

インドの貧困に関する私の意見をもしも伝えたら・・・。 [2018年12月19日(Wed)]
(323)
 インドの貧困に関する私の意見をもしも伝えたら、ひょっとするとあなたの心の中に私への反感が芽生えてしまうのではないかと私は危惧します。



 インドの現状について、まずガンディーは、「私が不満に思うことの第一は、インドが宗教的な国でなくなりつつあるということです(282)」と言っていました。
 続いて、彼がこれから述べようとすることは、「インドの貧困について」なのだそうです。
 この問題については、若い読者も「イギリスによる統治のせいでインドが貧困に苦しめられている(257)」と言っていました。
 しかし、恐らくガンディーは「インドの貧困」について、若者とはかなり違った見解を持っているのでしょうね。だから、「もしもそれを言ったら、あなたの心に私への反感が芽生えてしまうのではないか」と彼は心配しているのです。
 若者に反感を抱かせるようなことは、今までにも相当ガンディーは語ってきたようにも思えますが・・・
私はまだ、宗教についての意見を述べただけです。 [2018年12月18日(Tue)]
(322)
<編集長>
 私はあなたに自分の考えのごく一部、宗教についての話をしただけに過ぎません。
 しかし・・・



 前の章は、「インドの状態」でした。確かに、(282)でガンディーは、「私が不満に思うことの第一は、インドが宗教的な国でなくなりつつあるということです」と言っていました。ということは、当然、第二・第三の不満もあるということです。
 「インドが宗教的な国ではなくなりつつある」ということ以外に、彼が問題視し、深く憂慮しているインドの現状とは果たして何なのでしょうか?
 ・・・
今までぼくが抱いて来た安心感がすっかり失われてしまいました。 [2018年12月17日(Mon)]
第9章 インドの状態(続き) 鉄道
(321)
<読者>
 あなたのお話をうかがって、「インドの平和」について今までぼくが抱いて来た安心感がすっかり失われてしまいました。



 ここから新しい章に入ります。
 前の章(第8章 インドの状態)で、「イギリスの力による平和は決して真の平和ではないし、インドの自治に反したものだ」という編集長(ガンディー)の話を聞いた若い読者は、非常に大きなショックを受けたようです。
 この問題は、現在の日米関係にも通じる所があるように思えます。「アメリカの力によって日本の安全を確保する」という考えが、無自覚のうちに対米従属につながり、また、日本国民の精神的な力を弱めてしまっていると言えるのかもしれない。ガンディーの言葉を読んで、そんなことをぼくは考えてしまいました。
 この若者も、きっと自分の考えを根本的に改めなければならないと感じて少なからず動揺しているのではないでしょうか。
 ところが、ガンディーは・・・
ビール、ピンダーリー、タギーも、私たちと同じインド国民です。 [2018年12月16日(Sun)]
(320)
 それに、自治を願うあなたはこのことを忘れてはいけません。ビール、ピンダーリー、そしてタギーも、私たちと同じインド国民です。
 彼らの恐怖を克服する必要があるとしても、それはイギリスにしてもらうことではなく、あなたや私がやるべきことです。
 自分たちの同胞を恐れている限り、私たちは目標達成にふさわしい者にはなれないでしょう。



 「イギリス統治によってインドに平和がもたらされた」という見解に対する反論を、ガンディーはこのように締めくくります。
 ビール・ピンダーリー・タギーとは、インドにいた盗賊団などです。(309)イギリスの統治下で彼らが制圧されたので、若い読者はこれを「イギリスの平和」と呼んで評価していたのです。ところが、この若者は同時に熱心な民族主義者で、イギリスによるインド支配に対しては非常に強い不満と憤りを抱いていたのでした。(105)そして当然のことながら、彼はイギリスの支配から脱して一日も早くインドが自治を獲得することを熱望していました。(1)
 そういうわけで、ガンディーは彼に、「自治を願うあなたが、同胞を恐るべき外敵とみなし、むしろイギリス人を自分たちと同じ側にいる仲間と考えて果たして良いのか?」と問い掛けるのです。
 これを聞いた若い読者は・・・
強さをもたらすものは、立派な体格や逞しい筋肉ではなくて・・・。 [2018年12月15日(Sat)]
(319)
 強さをもたらすものは、立派な体格や逞しい筋肉ではなくて、何も恐れない心です。



 「インドは勇者の国であり、インド人は決して臆病ではない」というガンディーの主張の続きです。
 ところで、どうしてここで勇敢さが問題になっているのかと言うと、若い読者が「イギリスの力によってインドに治安が保たれているのは評価すべきなのではないか」という趣旨の発言をしたことに対してガンディーがこれを強く否定したことがきっかけでした。彼は、「イギリスによる平和は私たちをすっかり臆病者にしてしまった」(312)と述べています。
 つまり、彼にとっては単に争いから遠ざかって自分の身の安全を図るだけでは決して平和の名に値しないのです。平和は、他者から守ってもらうことによって実現するのではない。平和を脅かす危険に自らが立ち向かうことによって実現させなければならない。そう彼は考えるのです。
 ただし、勇気をもって危険に立ち向かうということは、肉体的な闘争や実体的な暴力の行使を意味するわけではないのです。ガンディーの考えでは、真の力とは身体的な腕力でも物理的な破壊力でもなく、精神的・霊的なものなのです。
 さらに、彼は別の観点から、この問題について非常に重要な指摘をします。
 それは・・・