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宗教の違いは、民族が分裂する原因ではありえない。 [2019年02月23日(Sat)]
(388)
<編集長>
 異なる宗教に属する人々がインドの中に住んでいる。しかし、それが原因でインドが1つの国でなくなるなんてことはありえません。



 「イスラム教が入って来て以来、インド民族は分裂してしまっているのではないでしょうか?」(387)と若い読者は質問しました。これは、(378)の質問にガンディーがほとんど答えず、代わりに鉄道批判を語り出したのに対して若者が再度改めて問いただしたものです。
 ここまで強い要請を受けたので、ガンディーもきちんと答えなければならないと観念したのでしょう。ここからは章のタイトル通り、インドにおける宗教対立についての議論が展開されます。
 しかし、ガンディーの立場は基本的に「宗教の違いが原因で民族が分裂することはありえない」というものです。これは今までも繰り返されてきた彼の持論ですが、今回は熱心な若者のためにより丁寧な説明がなされます。
 ・・・
イスラム教とインド民族の分裂。 [2019年02月22日(Fri)]
(387)
<読者>
 でも、やっぱりぼくは先程お尋ねした質問の答えを聞かなければどうしても気が済みません。
 イスラム教が入って来て以来、インド民族は分裂してしまっているのではないでしょうか?



 「宗教の違いを超えて、インドは1つになれるのか?」(373)という若い読者の質問に対して、編集長(ガンディー)は「注意深く熟慮を重ねていけば、それは容易に解決できる」と述べただけですぐに話題を変えてしまいました。しかも、再び鉄道の話に戻ってしまったのです。
 しかし、若者はもちろんこれでは納得しません。インドにおける宗教対立について、どうしてもガンディーの見解を聞かせてほしいと食い下がります。
 この若者は、とても真面目で情熱的で、なかなか頑固一徹な所があるのです。
 そこでガンディーも、やはりこの質問にはきちんと答えなければならないと考え直したのではないでしょうか。だって、この章のタイトルは「ヒンドゥー教徒とイスラム教徒」でしたものね。
 ・・・
人間が進歩すればするほど、神から遠ざかってしまった。 [2019年02月21日(Thu)]
(386)
 鉄道のお蔭で人間は確かにより遠くへ行くことができるようになりました。しかし、それだけ自分の創造主から離れてしまっているのです。



 ガンディーの鉄道批判の続きです。彼がこれほど強く鉄道を批判しているのは、もちろん鉄道が嫌いだからではありません。彼が批判しているのは、「より速く、より便利に」と効率や利便性ばかりを追求する現代文明、そして「イノベーション(技術革新)こそがあらゆる問題を解決し、人類を幸福にする」というような科学技術に対する盲信的態度なのです。
 ガンディーにとって、速いことは善ではありません。(345)では、「スピードや効率性は、善の促進に寄与しない」と言っていましたが、ここでは「遠くへ行くほど人間は神から遠ざかる」と言っています。
 これは、旧約聖書の「創世記」11章に出て来るあの有名な「バベルの塔」の寓話に通じるかもしれません。また、キリスト教の一派であるアーミッシュの人々が現代でも自動車を使わず馬車で移動しているのもこれと同じ理由なのかもしれません。
 さて、これを聞いた若い読者は・・・
鉄道ほど危険なものはない。 [2019年02月20日(Wed)]
(385)
 このように推論を進めて行けば、鉄道が極めて危険なものであるということがきっとあなたにもはっきりと分かるでしょう。




 「人間の体は遠くへ行けるようには造られていない。それは、人間がお互いに身近にいる隣人同士で助け合って生きるべきだからだ(383)」。それに逆らって、「その限界を克服して遠くへ行きたいと願うのは賞賛すべきチャレンジャー精神なのではなくて、人間の傲慢さなのだ」とガンディーは述べます。
 にもかかわらず、人間は科学技術の力によってより速く、より遠くへ、より少ない労力で、それまで行けなかったような所へも行けるようになりました。しかし、それは人間にとって恩恵よりもかえって害悪をもたらしていると彼は言うのです。
 それで、「鉄道は危険だ」とガンディーは強調するのです。これだけ彼が「鉄道」を批判するのは、鉄道がこの時代のイノベーションの象徴だったからです。それは、単に「便利になるのは必ずしも良いことばかりではない」というだけではなく、もっと本質的な意味が込められているのです。
 さらに、続けてガンディーは・・・
人間は不可能に挑戦し、それを乗り越え、その結果、すっかり困惑している。 [2019年02月19日(Tue)]
(384)
 このようにして人間は不可能に挑み、自分とは異なる性質、異なる宗教を持つ人々と接触するようになりました。そして、すっかり困惑してしまっているのです。
 


 「人間の体は遠くへ行けるようには造られていない。それは、人間がお互いに身近にいる隣人同士で助け合って生きるべきだからだ(383)」とガンディーは考えています。
 しかし、多くの人々(文明人)はそうは考えません。「何とかして、もっと遠くへ、もっと速く行くことはできないだろうか。そうすれば、私はもっと多くの人々と関わりを持つことができ、もっと広い範囲で大きな社会貢献ができるのに。あるいは、世界中にあるもっとたくさんの価値あるものを楽しむことができるのに・・・」と考えるのです。(ガンディーによれば、そのような考えは人間の思い上がりに過ぎないのですが)
 そして、科学技術の進歩や経済規模の拡大によって従来は不可能であったことが可能になること、すなわち自然によって与えられた限界を人間が克服していくことは、疑いなく人間の知性と努力の勝利であり、喜ばしく誇らしいことであると思われるのです。
 しかし、人間の行動範囲が広がり、互いに異質な人々との接触が起こるようになると、誤解・反感・偏見・差別・支配・略奪・不和・摩擦・軋轢・紛争などが生じてしまったりもするでしょう。そのことを、ガンディーは「人類は不可能を克服し、その結果すっかり困惑してしまっている」と表現しているのです。
 このように述べた後、ガンディーは・・・
私はすぐ近くにいる隣人たちに奉仕するしかない。 [2019年02月18日(Mon)]
(383)
 私の体は遠くへ行けるようには造られていません。だから、私はすぐ近くにいる隣人たちに奉仕するしかないのです。
 けれども、もしも私が「自分は世界のどこにでも行って、すべての人々に奉仕しなければならないと悟ったのだ」などと主張するようになったら、それはとんでもない自惚れと言うべきでしょう。



 「人間が自分の手足の力で行ける範囲にはもともと限界がある。それは、自然が人間に与えた制限なのだ(382)」と言った後、ガンディーはこのように続けます。
 つまり、「人間はもともと自力で遠くまで行けるようには造られていない。それは、人間がその狭い範囲の世界で生きていくべきだからだ。もちろん人間は他者に奉仕するべきだが、人間が愛と奉仕を捧げるべきなのは遠くにいる人々ではなく、何よりもまず自分の近くにいる人たちなのだ。世界中の人々を救おうとするのはまさしく身の程知らずの思い上がり、傲慢にほかならないのである」とガンディーは言うのです。
 これと似たようなことを言ったのは、マザー=テレサですね。「大切なことは、遠くにある人や大きなことではなく、目の前にある人に対して愛を持って接することです」と彼女は語っていたそうです。
 とにかく、遠くに行かなくても良いことはできるのだから、鉄道などを使って遠くへ行こうとする必要はまったくないではないかと彼は言いたいのでしょうね。
 さらに、ガンディーは・・・
自然は人間の行動範囲に制限を設けた。 [2019年02月17日(Sun)]
(382)
 人間が自分の手足の力で行ける範囲にはもともと限界があります。それは、自然が人間に与えた制限なのです。それよりも遠くへは行けないように、そもそも人間は造られているのです。



 「宗教の違いを超えて、インドは1つになれるのか?」(373)と若い読者から問われたガンディーは、それが非常に深刻な問題であることは認めながらも「注意深く熟慮を重ねていけば、それは容易に解決できる」と述べただけですぐに次の話題に移ろうとします。
 しかも、法律家と医者について話したいと言った直後に、何とガンディーは「その前にもう一度、鉄道について述べたいことがある」と言い出したのです。前の章で、かなりの言葉を費やして徹底的な鉄道批判を繰り広げていたにもかかわらずです
 鉄道ができたお蔭で、人々はそれまでよりずっと遠くまで出掛けることができるようになりました。通常、それは鉄道の利点・恩恵と考えられることが多いと思います。現代であれば、飛行機や自家用車のお蔭でさらに便利になったと思っている人が多いのではないでしょうか?
 しかし、ガンディーはそうは考えません。「そもそも人間はそんなに遠くへ行くべきではないのだ」と彼は主張するのです。これは、あの老子の「小国寡民」に通じる反都市文明的な人間社会論なのではないでしょうか?
 さらに、彼は続けて・・・
鉄道について、さらに言いたいことがあるのです。 [2019年02月16日(Sat)]
(381)
 しかし、その前に、鉄道については既に考察したのですが、さらに付け加えて申し上げたいことがあるのです。



 「宗教の違いを超えて、インドは1つになれるのか?」という若い読者の質問に対し、ガンディーはそれが非常に深刻な問題であることは認めながらも、「注意深く熟慮を重ねていけば、それは容易に解決できる(379)」とだけ答えてすぐに次の話題に移ろうとします。
 前の章の冒頭で、「鉄道・弁護士・医者。これらがインドを貧しくしてしまった元凶である(326)」と宣言していたように、彼が重要視しているのは現代文明がもたらす深刻な害悪なのです。それで、「前の章で鉄道については語ったので、今度は残りの2つ、弁護士と医者について話をしたい」と言ったガンディーでしたが、その前にもう一点、鉄道について言い尽くせていなかったことがあると述べるのです。
 鉄道について、ガンディーがさらにどうしても言いたいこととは、一体・・・

鉄道・弁護士・医者。 [2019年02月15日(Fri)]
(380)
 その問題は、鉄道や弁護士や医者というものが存在しているから生じているものなのです。
 だから、早速鉄道以外の残りの2つについて検討することにしましょう。



 「宗教の違いを超えて、インドは1つになれるのか?」(373)という若い読者の質問に対するガンディーの答えの続きです。
 「それは非常に深刻な問題です」と認めながらも、「注意深く熟慮を重ねていけば、それは容易に解決できる」と彼は言っています。そして、そのような宗教対立でさえも「鉄道・弁護士・医者」に起因していると主張して、次の話題に移ろうとするのです。
 よほど、宗教対立の問題を軽視しているのか、あるいはなるべくそれに触れたくないのか、もしかすると別の理由があるのか、それはよく分かりませんが、とにかくガンディーはインドにおけるヒンドゥー教徒とイスラム教徒の宗教対立についてはあまり言及せずに、弁護士と医者の話を始めようとするのです。
 しかし・・・
深刻な問題だが、よく考えれば解決するのは簡単だ。 [2019年02月14日(Thu)]
第10章 インドの状態(続き)ヒンドゥー教徒とイスラム教徒
(379)
<編集長>
 今あなたが質問されたことは、本当に深刻な問題です。
 しかし、注意深く熟慮を重ねていけば、それは容易に解決できる問題だと分かるでしょう。
 


 「宗教の違いを超えて、インドは1つになれるのか?」(373)という若い読者の質問に編集長(ガンディー)に答え始める所で、新しい章が始まります。
 確かに、インドにおける宗教的な対立、特にヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は本当に深刻な問題です。結局、この後インドはイギリスからの独立を果たしたもののヒンドゥー教徒が多数のインドとイスラム教徒が多数のパキスタンに分離してしまいました。(その後、さらにパキスタンはバングラデシュと分かれました)
 ところが、この大変深刻な問題も容易に解決することができるとガンディーは言うのです。
 その方法とは、果たして・・・