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ローマもギリシャも既に滅びたが・・・。 [2019年08月05日(Mon)]
(548)
 ローマは既に滅びました。ギリシャも、同じような運命を辿りました。
 ファラオの権力も崩れ去りました。



 「インドが築いてきた文明を打ち破ることはこの世の誰にもできません(547)」と述べた後、ガンディーは既に滅びた古代文明について語ります。
 確かに、古代ローマ帝国は4世紀末に東西に分裂し、西ローマは5世紀に滅び、東ローマ(ビザンツ帝国)は15世紀まで続きましたが、結局は滅亡しました。しかし、ここで問題になっているのは「帝国」の存続ではなくて「文明」の存続です。ローマ帝国が滅びた後、その文明が後の時代のヨーロッパに受け継がれたのかと言うと、決してそうではないでしょう。特に、キリスト教を国教とする以前の古代ローマの文明はかなり大きく変質し、ほとんど歴史的のものとしてのみ地上に残ったと言えるのではないでしょうか?
 古代ギリシャの文明も同様です。ヘレニズム時代以降、ギリシャ文明の影響下にあった地域は、ヨーロッパのキリスト教社会、北アフリカ・西アジア・中央アジアのイスラム教社会などに移行し、ギリシャの文化的遺産は主としてイスラム圏でアラビア語に翻訳されて後世に伝えられたのです。
 ファラオというのは、古代エジプトの王のことです。ファラオは神とみなされ、ピラミッドに象徴される絶大な権力を持っていたのですが、歴史の流れの中でエジプトの地はアレクサンダー、ローマ帝国、そしてイスラム帝国に占領され、古代のエジプト文明とはまったく異質の文明世界に属する場所になったのです。
 まさに「諸行無常」「栄枯盛衰」ですが、国家の隆盛や政治的支配者たちの権勢などはまったく虚しくはかないものだとしても、真の文明と呼ぶべきものは時代の流れを超えて普遍的に存続するものだとガンディーは考えているようです。
 そして・・・
インドの文明は不滅である。 [2019年08月04日(Sun)]
(547)
<編集長>
 その質問にお答えするのは難しくありません。
 インドが築いてきた文明を打ち破ることはこの世の誰にもできません。私はそう信じています。
 我々の祖先が蒔いた種に匹敵するものが果たして世界のどこになるでしょうか?



 「文明とは一体何なのでしょうか?」という若い読者の質問(546)に対する編集長(ガンディー)の答えです。
 ただ、簡単だと言いながら、この記述は決して「文明とは何か?」という問いに対する端的な答えにはなっていません。きっと、それは読み進めて行くうちにだんだん明らかになっていくのだろうと思います。
 まず、彼は「インドが築いてきた文明」について語り始めます。恐らく、「ヨーロッパから始まった文明」が「本当は文明と呼ばれるにはふさわしくないもの(185)」であるのに対して、これこそが真の文明なのだと彼は主張したいのではないかと思います。
 では、この後ガンディーの話はどのように展開していくのでしょうか?
 ・・・

文明とは何なのでしょうか? [2019年08月03日(Sat)]
第13章 真の文明とは何か?
(546)
<読者>
 鉄道、弁護士、そして医者のことをあなたは良くないものだとおっしゃいました。
 あなたはきっと、すべての機械を捨て去れと主張されるのでしょうね。
 しかし、それでは一体、文明とは何なのでしょうか?



 ここから、新しい章に入ります。第9章では鉄道、第11章では弁護士、第12章では医者を非常に厳しく批判したガンディーの話を聞いて、若い読者は上のように質問します。(ちなみに第10章は、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒についての議論でした)
 彼が指摘する通り、ガンディーが批判していたのは究極的にはヨーロッパで生まれ、ヨーロッパからアジアに広がりつつあった近代文明だったのです。
 そこで、若い読者は極めて根本的な問いをガンディーにぶつけたのです。
 「あなたは西洋の文明、近代文明を否定するのですね。では、人間にとって文明とは悪であり、文明化などしない方がよいということでしょうか? あるいは、この文明は真の文明ではないとおっしゃるのなら、真にあるべき文明とは一体どのようなものなのでしょうか?」
 実は、「文明とは何か?」という問題は既に第6章(文明)で提起されていました。その時は、「『文明』という言葉がどんな状態を表すのに使われているか」という話(198)をガンディーはしていましたね。ただし、それはもちろん彼が厳しい批判の対象とした近代文明を指しているのであって、彼が「真の文明」と考えているものについてはまだ語られていないのです。
 というわけで、いよいよそのテーマについての本格的な議論が始まりそうですね。
 ・・・
もぐりの医者の方がまし。 [2019年08月02日(Fri)]
(545)
 そういうわけですから、善人ぶった医師なんかよりも、我々の身近にいるもぐりの医者の方がよっぽどましだと言えるのではないでしょうか?



 医者についてのガンディーの批判もいよいよ結論部分になりました。
 そして、最後もまたかなり過激で辛らつな表現でガンディーはお医者さんを非難します。どうして彼がこんなに激しくお医者さんを責めるのかと言うと、「医者は私たちの不節制を助長している」「西洋医学が行う動物実験」「宗教的なタブーに違反する調合薬」「医者は金儲け主義だ」「ヨーロッパの医学を学ぶほど我々の隷属状態は深められていく」などがその理由のようです。
 要するに、彼が問題にしているのは医療そのものよりも特に西洋医学の背景にある思考様式、思考の枠組み(マインドセット)がインドにとって望ましくないということなのです。
 これは、ヨハン=ガルトゥングが「構造的暴力」「文化的暴力」と呼んでいるものと似ているのではないかと思います。どうして西洋医学が暴力につながるのか、それは恐らく次章以降で明らかにされるでしょう。
 いずれにしても、医者に対するガンディーの反感・憤りはかなり強かったようです。きっと、彼が見聞した範囲で知っている医者たちの振る舞いを非常に許しがたいと常々感じていたのでしょう。
 「正規の医者よりも偽医者の方がましだ」という主張は、(525)
でも述べられていましたね。
 これで、第12章「インドの状態(続き) 医者」はおしまいです。次は・・・
一般大衆はどうして騙されるのか? [2019年08月01日(Thu)]
(544)
 一般の人々はどうしてそれに騙されてしまうのでしょう?
 その理由の一つは、彼らが何でも軽々しく信じてしまう性質を持っていることです。そしてもう一つは、医者の力で病気を取り除いてもらえるという期待をかけたくなってしまうことです。
 


 ガンディーの医者批判の続きです。
 医者たちは高い治療費や薬代によって不当な利益を得ていると弾劾した(543)後、彼は上のように述べています。弁護士について、「金銭と引き換えに正義が買えると考えるのは我々が無知で単純だからだ」(508)と言っていたのに似ていますね。
 確かに、一般大衆は単純素朴にインテリや専門家の言うことが正しいと信じてしまうのかもしれません。また、医者にかかっている患者の場合は、現に自分が病気で苦しんでいるわけですから、「何とかして病気を治してもらいたい。相手が病気を治してくれる可能性を信じたい」とほんの一縷(いちる)望みにもすがりたいと思うのも無理はないでしょう。まさに、「溺れる者は藁をも掴む」です。
 しかし、そのような民衆の純朴さや必死に希望を託す心を利用して彼らを騙し、大きな利益を得ている医者たちをガンディーは痛烈に批判するのです。(客観的に読めば、ここはかなり乱暴な主張だと言わざるを得ないと思います。何度も言いますが、お医者さんの皆さん、済みません)
 そして、医者に関する彼の結論は・・・

医者たちは自分の知識をひけらかし、そして法外な料金を請求します。 [2019年07月31日(Wed)]
(543)
 医者たちは自分の知識をひけらかし、そして法外な料金を請求します。
 彼らは数ペンスの価値しかないものを調合薬と称し、それを何シリングもの値段で売り付けます。



 ガンディーの医者批判の続きです。
 (541)で彼は、「医者になりたいと思う動機は名誉と富を得るためだ」と述べていました。では、一体どのようにして医者は富を築いているのかということが、ここで具体的に述べられています。
 繰り返しになりますが、お医者さんの方、大変申し訳ありません。どうか、この部分だけでなく、文章全体からガンディーの主張を理解していただいて、これはまあ、少し表現が過激になってしまったのだなと寛大に受け止めてあげてください。
 ガンディーはこのような批判がなされるべき事実があることを具体的に示してはいませんが、恐らく当時のインドで一般的に見られる行為だったのではないかと思います。
 ペンスはイギリスのお金の単位(ペニーの複数形)で、現在は100ペンスで1ポンドになるそうですが、当時は240ペンスで1ポンドだったようです。
 シリングもイギリスのお金の単位ですが、現在は使われていないそうです。12ペンスで1シリングだったということです。つまり、原価数ペンスのものが何シリングかで販売されていたということは、大まかに言って12倍程度の高値で売っていたということですね。
 そして・・・
医者という仕事は人間にとって害になる仕事です。 [2019年07月29日(Mon)]
(542)
 医者という仕事を通じて真の意味での人類への奉仕をすることはできません。むしろ、それは人間にとって害になる仕事です。
 そのことを何とかして伝えようと私は努力しているのです。



 かつては「国のために医者になろうと志していた時もあった」522ガンディーですが、その後、医者に対する彼の評価はまさに180度の大転換を遂げたようです。
 もちろん、人間の命を救い、より多くの人々が健康に生きられるようにすることの意義は彼も認めていると思います。だからこそ、「人類への奉仕」という言葉がここで出て来るのでしょう。
 恐らく、ガンディーは「人命を救う」「人が健康に生きる」ということの意義を否定しているのではなくて、「今の医療がやっていることはあまりにも皮相的だ。単に病気を治療することだけを追求して、人間存在の本質を見失っている」と言いたいのではないでしょうか? つまり、「病気を見て人を見ない」「病気を治して人を生かさない」医療の在り方を批判しているのだと思います。
 そして・・・
医者になりたいと思う動機は・・・。 [2019年07月28日(Sun)]
(541)
 さて、ここで考えてみてください。我々は一体どうして医者の仕事をしようと思うのでしょうか? 医者になりたいと思う動機は、人類への奉仕のためではなく自分が名誉と富を得るためなのではないでしょうか。



 ガンディーの医者批判の続きです。
 弁護士の場合と同じく(489)、医者についても、「彼らがその職業を選択したのは高い地位と収入を得るためなのではないか」とガンディーは言っています。
 読者の皆さんの中にお医者さんやその関係者の方がいらっしゃったら、「そんなことはない」と反論したり、「そんなふうに根拠もなく断言するのは乱暴ではないか」と抗議したりしたいかもしれません。しかし、ここではガンディーが書いていることをそのまま紹介しているだけなので、どうかご容赦ください。
 彼は、その当時のヨーロッパの医学のあり方を批判しているのです。「本来の医学は、人類への奉仕であるべきである」と思っているからこそ、また自分自身もかつてはその職業を志していたからこそ、ガンディーは非常に厳しい目を向けざるを得なかったのではないでしょうか?
 さらに・・・
ヨーロッパの医学は、我々を奴隷にする。 [2019年07月27日(Sat)]
(540)
 こんな状態では、まったく国に対する奉仕どころではありません。ヨーロッパの医学を学べば学ぶほど、我々の奴隷状態はより深刻になっていくでしょう。



 ガンディーの近代医学批判の続きです。
 若い頃、ガンディーは「国のために医者になろうと志していた時もあった」そうですが522、経験と思索を重ねるにつれて認識が変わり、結局医者に対しては以前と正反対の評価を下すようになったようです。
 「ヨーロッパの医学を学べば学ぶほど、我々の隷属状態は深刻になる」とは一体どういうことかと言いますと、まず、当時インドはイギリスから植民地支配を受けていました。しかし、彼はその主な原因が両国の間の軍事力の差であるとは考えません。また、インドを苦しめているものがイギリスの軍事的・政治的・経済的な支配であるとも考えないのです。
 ガンディーの見解では、「インドを隷属状態に陥らせ、そこから抜け出せなくさせているのは、現代文明そのもの(280)」なのです。だから、現代文明の一部である医学も、インドの奴隷状態を強化する機能を果たしていると彼は考えるのです。
 そして・・・
医者たちは我々に不節制を勧めます。 [2019年07月26日(Fri)]
(539)
 医者たちは我々に不節制を勧めています。その結果、我々は自分の心を統制することができなくなり、精神的に弱くなってしまっています。
 


 ガンディーの医者批判の続きです。
 医者が人々に不節制を勧めるというのは、もちろん直接的・積極的にそうするというわけではないでしょう。しかし、(531)にあるように、医者は不節制の報いとして起こる症状を薬で治してしまいます。その結果、患者が自分の不節制を反省してそれを克服する機会を失わせてしまっている。だから、事実上不節制を勧めているのと同じことだと彼は考えているようです。
 ガンディーにとって、真の医者は病気を治療するよりも病気にならないような生活習慣を身につけさせることに貢献しなければならないのです。そして、そのために必要なのは患者自身の自己統制力、精神的な強さだと主張するのです。
 さて、ここで「精神的に弱くなって」と書いた所は、原文では"effeminate"(男らしくない、めめしい)です。不適切表現なので修正しました。
 そして・・・