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自分の意見が直ちに受け入れられることを私は期待しているわけではありません [2019年10月01日(Tue)]
(598)
<編集長>
 自分の意見が直ちに受け入れられることを私は期待しているわけではありません。
 それでも、あなたのような読者の皆さんの前に私はそれを提示しなければなりません。それから後のことは、きっと時間が解決してくれると信じています。



 「文明についてのあなたの意見をすぐに受け入れることは不可能です」という若い読者の発言にガンディーはこう答えます。
 確かに、彼の文明論(近代文明批判)はあまりに過激すぎて、現代の読者にも容易には受け入れがたいことでしょう。それは、ガンディー自身もよく理解しているのです。しかし、たとえ相手が理解してくれなくても、あるいは誤解や反発を受けたとしても、自分には真理を語る義務があると彼は確信しているのです。そしてまた、いつかはきっと理解してもらえるだろうという希望も持っているのです。
 ところで、この若い読者は自身の態度を保留すると共に、新たな問いも発していましたね。
 それは、「どうすればインドは自由を獲得できるのか?(597)」というものでした。これが、この章のテーマなのですが・・・

インドが自由を獲得するためには一体どうすればよいのでしょうか? [2019年09月30日(Mon)]
第14章 どうすればインドは自由を獲得できるのか?
(597)
<読者>
 文明についてあなたがおっしゃることの趣旨は分かりました。それらをすぐに受け入れることは不可能ですが、今後の検討課題にしたいと思います。
 ところで、あなたの見解に従うとすれば、インドが自由を獲得するためには一体どうすればよいのでしょうか?



 「真の文明とは何か? 古くから続いているインドの文明こそが、真の文明である」というガンディーの話(例えば(586))を聞いて、若い読者は完全な同意を表明するには至らないものの、一応その趣旨は理解することができたと答えます。
 そして、ここからまた新たな問いを投げ掛けるのです。それは、「どうすればインドは自由になれるのか?」というものでした。だから、ここから新しい章(「第14章 どうすればインドは自由を獲得できるのか?」)に入るのです。
 このような質問をする前提として、「今、インドは自由を喪失している、つまり、他からの支配や束縛を受けている」と彼は考えているわけですが、それはもちろん、イギリスによる植民地支配のことを指していると思われます。
 さて、この問いに対して、ガンディーは・・・
ちょうど、子どもが母親の胸にしがみついて決して離れようとしないのと同じように・・・。 [2019年09月29日(Sun)]
(596)
 そのように理解し、また確信すれば、古いインドの文明に固執するのはインドを愛するすべての人間にとって当然のことです。
 それはちょうど、子どもが母親の胸にしがみついて決して離れようとしないのと同じことなのです。



 「インドの文明にも多くの欠点が存在しているが、それは人間の道徳的性質を高めようとするものであり、大いに弊害をもたらすヨーロッパの文明とはまったく違う」ということを主張(595)した後、ガンディーは上のように述べます。
 だから、たとえ「変化をなかなか受け入れない」という非難を浴びたとしても(556)、インド人はやはり古いインドの文明に固執すべきなのだと彼は言うのです。
 これで、「真の文明とは何か?」についてのガンディーの話は終わりです。果たして、若い読者は納得してくれたのでしょうか?
 ・・・
西洋文明は人々の間に不道徳を広げる。 [2019年09月28日(Sat)]
(595)
 インド文明は人間の道徳的性質を高めようとします。しかし、西洋の文明は人々の間に不道徳を広げるように働くのです。
 なぜなら、インドの文明は神への信仰に基づいていますが、西洋の文明は神を否定しているからです。



 「インドの文明にも多くの欠点が存在している(591)」ことを認めるガンディーですが、それでも、「インドの文明は本質的に善であり、ヨーロッパの文明は悪である」という見解は微動だにしません。
 それはなぜかと言うと、「インドの文明は神への信仰に基づいているが、西洋の文明は神を否定しているから」なのだそうです。
 「しかし、ヨーロッパの文明はキリスト教に根差しているのではないか? 神を否定しているとは言えないのではないか?」と疑問に思う人もいるでしょう。しかし、ガンディーによれば、20世紀初頭のヨーロッパでは宗教はほとんど形骸化していて、人々が宗教的に振る舞うのもうわべだけだと言うのです。(219)
 そして・・・
完全無欠の社会はこの世のどこにも存在しない。 [2019年09月27日(Fri)]
(594)
 世界中のどこであっても、またどんな文明の下でも、すべての人が完全に理想通りの生き方をしているというようなことは決してありません。


 
 「今あなたが挙げたような欠点は確かにインドに存在しています(591)」と認めたガンディーですが、そのことについては上のように弁明しています。しかし、それはまあ至極当然です。完全無欠、まさに理想通りの社会などというものがこの世に存在しないのは言うまでもありません。
 しかし、そうであれば、ヨーロッパの文明についても同様に欠点があるのは当然で、ガンディーがヨーロッパ文明の悪い点ばかりを強調するのはいささか厳し過ぎるのではないかという気もするのですが・・・。
 
我々の中に生まれている新しい精神は・・・。 [2019年09月26日(Thu)]
(593)
 我々の中に生まれている新しい精神は、これらの悪を消し去るためにあるいは役立つかもしれません。
 しかし、現代文明の象徴として私があなたにお話してきたようなことは、現にそのようなものとして信奉者たちに受け入れられてしまっています。
 インドの文明については、私以外の信奉者たちも皆、私と同じようなことを語っているのです。



 「我々の中に生まれている新しい精神」とは、例えば(68)などで言及されていたナショナリズムのことでしょう。
 真の愛国心というのは、自分の国が持っている悪しき面も直視し、それを改めようとすることだとガンディーは考えているようですね。
 しかし、ヨーロッパから導入された現代文明については、非常に批判的な評価をガンディーは下しています。(280)
 さらに、彼は続けて、・・・
これらの弊害は決して文明によってもたらされたものではありません。 [2019年09月25日(Wed)]
(592)
 このような欠点と古くからの文明を混同する人など誰もいないでしょう。
 これらの弊害は決して文明によってもたらされたものではありません。文明に反したものであるにもかかわらず、不幸にして現代まで残ってしまったものなのです。
 それらを取り除く努力はこれまで常になされていましたし、これからも続けられていくでしょう。


 
 「インドが築いてきた文明こそが真の文明なのです」と言うガンディーに対して、若い読者は、「しかし、インドの伝統には改められるべき悪しき側面もあるのではないですか?(587)と反論しました。
 これに対するガンディーの説明は、上のように、「古代から続くインドの社会のあり方は決してすべて肯定すべきものというわけではない。インド社会にも無論のこと欠点はあるが、それはインド文明の一部分・一要素というわけではない。インドの文明から必然的に生じたものでもない。そうではなくて、それらはまったく文明に反したものなのだ」というものです。
 なので、少なくともガンディーにとってはこの若者の反論は意味をなさないことになります。しかも、彼が考える文明とは「人が進むべき道を指し示すような行動様式のこと(558)」なのですから、このような事柄はもちろん文明ではないのです。
 そして・・・
そのような欠点は確かにありますが・・・。 [2019年09月23日(Mon)]
(591)
<編集長>
 あなたは思い違いをしています。
 今あなたが挙げたような欠点は確かにインドに存在しています。それは、紛れもなく欠点です。


 
 「インドが築いてきた文明こそが真の文明なのです」という自身の主張に対する若い読者の猛反論(590)を受けて、ガンディーは上のように答えます。
 あれほどインドの伝統を称賛していた彼ですが、若い読者が指摘したような面があることを非常にあっさりと認めています。しかも、「それは紛れもなく欠点である」と明言しています。
 では、若者の主張を受け入れて、インドの文明に対する自分の評価を改めたのでしょうか? 前言を撤回したのでしょうか?
 しかし、そうでもないようです。「あなたは思い違いをしている」と言っているからです。
 ということは・・・
これらのことも、文明の象徴だと思われますか? [2019年09月22日(Sun)]
(590)
 インドで行われているこのような事柄も、あなたは文明の象徴だと考えているのですか?
 これらのことも、あなたが語った偉大なインドの文明の一部なのでしょうか?
 


 「インドが築いてきた文明こそが真の文明なのです」と主張するガンディー(586)に対する若い読者の反論の締めくくりです。
 このような事柄とは、「貧しい母子家庭」「児童婚」「ニヨーガの風習」「宗教上の儀式としての売春」「宗教的な動物の生贄」などです。つまり、若者はインドの悪しき伝統を列挙して、「このような状態・行為・慣習は、決して文明的とは言えないのではないですか? それを、あなたは肯定するのですか? 擁護するのですか?」とガンディーに詰め寄っているのです。
 さて、この激しい反論に対して、ガンディーは・・・
宗教の名において・・・。 [2019年09月21日(Sat)]
(589)
 宗教の名において、少女たちが身を捧げさせられ、売春を強要されています。また宗教の名において、羊や山羊が殺されています。



 「インドが築いてきた文明こそが真の文明なのです」と主張するガンディー(586)に対する若い読者の反論の続きです。
 「宗教の名において、少女たちが身を捧げさせられている」とは、例えばデーヴァダーシー(「神に仕えるもの」「神の侍女」を意味し、元来は主に舞踊を担うためにヒンドゥー寺院に奉納され、伝統舞踊を伝承したが、後には売春をさせられるようになる)のようなものを指していると思われます。確かに、これは是非とも改められるべき慣習だと思います。
 また、「宗教の名において、羊や山羊が殺されている」と言われていますが、このような例もインドに限らず世界各地に見られたことでしょう。西洋にも「スケープゴート(贖罪の山羊)」という言葉がありますし、漢字の「犠牲」も、牛偏の漢字2字でできています。
 そして、このように述べた若者は・・・