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支配者が自国民であれば、国民は幸せなのか? [2019年11月10日(Sun)]
(638)
 そして、その結果は果たしてどうだったでしょうか?
 イタリア人がイタリアを統治しているのだから、イタリア国民は幸せだ。
 もしもそのように信じているのなら、あなたはまさに闇の中で手探りしているような状態です。



 イタリア統一の三傑のうちの1人、カヴールの現実主義的な政策に対して、ガンディーは否定的な評価を下します。(637)
 もちろん、オーストリアとフランスという大国に挟まれ、さらにローマ教皇の存在という難しい条件の中で、それまで分裂状態だったイタリアの統一を実現するということが容易であったはずはありません。それはカヴールの卓越した政治的手腕があったからこそ成し遂げられたのだと考えることもできるでしょう。
 しかし、ガンディーにとって、「民族国家の樹立」は決して究極の目的ではないのです。確かに異民族支配は誰にとっても望ましいものではないでしょう。けれども、同じ民族が支配者であれば、それで国民は幸せと言えるのか? たとえ同じ民族であっても、不当な支配はやはり耐え難いのではないか。社会が様々な社会的矛盾や束縛に満ちていれば、その国民は幸福でも自由でもないのではないか。このようにガンディーは若者に問うのです。
 そして・・・
イタリアの歴史の中に不名誉な部分を作り出したカヴール首相の陰謀。 [2019年11月09日(Sat)]
(637)
 そして、カヴール首相の陰謀は、イタリアの歴史の中に汚点を残してしまいました。



 ここで、唐突にカヴールという人物名が出て来ます。カミッロ=カヴール(1810-1861)は、ガリバルディ・マッツィーニと並んで「イタリア統一の三傑」と称される人なのですが、ガンディーも若い読者も彼のことはあまり評価していないようです。
 カヴールは政治家です。サルデーニャ王国の首相、そしてサルデーニャ王国を中心にしてイタリア王国が成立すると、その首相に就任しました。カヴールは爵位名で、家名(姓)はベンソだそうです。
 イタリアの歴史に汚点を残したと言われているのは、恐らく「プロンビエールの密約」のことだと思われます。これは、1858年にカヴールとフランス帝国(当時はナポレオン3世による第2帝政)との間で結ばれた密約です。サルデーニャはフランスに国境地域(サヴォワ及びニース)を割譲する代わりにイタリア統一戦争において軍事支援を受け、オーストリアからロンバルディア地方を獲得することに成功しました。密約ということは、イタリア国民も知らなかったということでしょう。これにはガリバルディも激怒したそうです。
 このカヴール外交については評価が分かれる所でしょうが・・・
ガリバルディは、単にイタリアがオーストリアの支配から解放されることを望んだに過ぎない。 [2019年11月08日(Fri)]
(636)
 ガリバルディは、単にイタリアがオーストリアの支配から解放されることを望んだに過ぎないのです。



 イタリアについてのガンディーの話の続きです。
 「ガリバルディの方はマッツィーニのような思想を持っていませんでした(634)」とあるように、イタリア統一運動のもう1人の英雄、マッツィーニが人間の生き方や社会のあり方についての信念を持っていたのに対し、ガリバルディの方は単にオーストリアに勝つことだけを目指していたのではないかということでしょう。
 ただ、ガリバルディも共和主義者で、まったく無思想の単純な武人だったとは言えません。しかし、両シチリア王国を征服した後その占領地を国王に献上したので、結局自分の理想を捨てて現実に妥協した人というのが彼に対するガンディーの評価なのでしょう。もっとも、ガリバルディはイタリア王国からの受勲や議席をすべて拒否して隠居生活をしたそうなので、決して自分の思想を捨てたとは言えないと思いますが・・・
イタリアとオーストリアは同じ文明に属しています。 [2019年11月07日(Thu)]
(635)
 また、イタリアとオーストリアは同じ文明に属しています。この点に関して言えば、親戚同士のようなものです。
 つまり、これは「やったり、やられたり」の問題なのです。



 これは、「イタリアとインドとでは事情が異なる(632)」と言っていたことの中身でしょう。つまり、「インドは、異なる文明であるヨーロッパの文明によって支配されている。これに対して、イタリアとオーストリアはどちらも同じ文明に属した国同士だ」ということでしょう。
 確かに、イタリアもオーストリアもヨーロッパです。もちろん同じ民族とは言えないにしても、インドとイギリスの違いに比べればその相違は遥かに小さなものだったと言えるでしょう。
 当時はオーストリアの力がイタリアよりも強く、イタリアから見れば「オーストリアに支配されている状態は不当だ、苦痛だ、屈辱的で耐えがたい」と感じられたかもしれません。しかし、それもガンディーによれば同じ文明に属する諸国家が興隆と衰退を繰り返す中で、たまたまある時に強い国が弱い国を支配するという「やったり、やられたり」の問題だというわけです。
 これは、イタリア民族主義の立場からは大いに異論があるだろうとは思いますが・・・
彼は人々に武器を与え、人々は武器を取って戦った。 [2019年11月06日(Wed)]
(634)
 これに対して、ガリバルディの方はマッツィーニのような思想を持っていませんでした。
 彼は、イタリアの人々に武器を与えました。そして、彼らはその武器を取って戦ったのです。


 
 「マッツィーニは、人間の義務についての思想を持っていた(633)」と述べた後、ガンディーはイタリア独立のもう1人の英雄、ガリバルディについて語ります。
 彼は、マッツィーニの理念に共鳴して「青年イタリア」に参加、1834年の最初の蜂起が失敗した後は南米に亡命し、ウルグアイなどの独立運動に加わってゲリラ戦術を身につけたそうです。1848年のローマ共和国の建設がフランスの介入で挫折に終わった後も、彼は独自の軍事行動を展開しました。
 すなわち、1860年に「千人隊」(またの名を赤シャツ隊)を率いてシチリア島を占領、ブルボン家の支配する南イタリアの両シチリア王国を征服し、その占領地を国王ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世に献上、これによって遂に民族国家イタリア王国が成立したのです。
 まさに、「革命の闘士」と呼ばれるにふさわしい人物ですね。
いかにして自分自身を統御するか。 [2019年11月05日(Tue)]
(633)
 マッツィーニが目指したことはイタリアにおいて実現しませんでしたし、今もなお実現していません。
 「人間の義務について」という著書の中で彼はこう書いています。
 「いかにして自分自身を統御するかをすべての人が学ばなければならない」と。
 しかしながら、イタリアでそのようなことは起こっていないのです。



 「(イタリア統一運動において活躍した)マッツィーニとガリバルディの間には重大な相違があった(632)」という話の続きです。
 マッツィーニは、単なる革命運動家ではなく、独自の自由主義・共和主義を唱えた思想家でした。そして、ガンディーが言う通り、「人間の義務について」という本を書いています。
 その序章で、彼は、「イタリアの労働者に向けて、私は各人が負う義務について語ろう。困窮している人々に向かって権利ではなく義務を語ろうとするのはなぜかといえば、権利や自由や幸福や豊かさを求める考えこそが、現今の人民の困窮をもたらしたものだったからである」と述べています。
 また、「すべての人は自由への権利を持っている。しかし、それは決して目的ではなく人間としての義務を果たすための手段である。だから、人が持っているのは利己的に振る舞う自由ではなくて、内から進んで善を選び取る自由なのである」というようなことを書いています。
 しかし、「そのようなマッツィーニの理想はイタリアにおいて今もなお実現していない」とガンディーは言うのです。
 一方、ガリバルディの方は・・・
マッツィーニとガリバルディの間には重大な相違があった。 [2019年11月04日(Mon)]
(632)
 しかし、イタリアとインドとでは事情が異なります。
 イタリアに関して言えば、マッツィーニとガリバルディの間に重大な相違があったことに注意すべきです。


 
 「(イタリア統一運動において活躍した)マッツィーニとガリバルディは偉大だったということは、もちろんあなたも認めるでしょうね」と同意を求める若者に、ガンディーは「2人とも尊敬に値する」と答えます。しかし、「マッツィーニは偉大で、かつ正しい人」と述べる一方で、「ガリバルディは偉大な戦士」と微妙に異なった表現をしています。(631)
 マッツィーニは、他民族支配と分裂状態に陥っていたイタリアの「自由・独立・統一」を求める運動を展開していくために、「青年イタリア」という組織を結成しました。ガリバルディもこれに参加して共に闘っているので、この2人は同志であったと言えるでしょう。
 にもかかわらず、「マッツィーニとガリバルディの間に重大な相違があった」とガンディーは言うのです。
 さて、その違いとは一体・・・

彼らの生き方から我々は多くのことを学ぶことができる。 [2019年11月03日(Sun)]
第15章 イタリアとインド
(631)
<編集長>
 あなたはイタリアの事例を示されましたね。良いでしょう。
 マッツィーニは偉大で、かつ正しい人でした。ガリバルディは、偉大な戦士でした。二人とも、尊敬に値する人物です。彼らの生き方から我々は多くのことを学ぶことができます。


 
 「イタリア統一戦争の結果、イタリアは民族国家の樹立に成功した。これにならって、インドも独立を勝ち取ろう」と若い読者は言って(629)、武力によって独立を実現した例としてイタリアを取り上げました。これをきっかけにして、この対話の内容は19世紀イタリアの状況へと移っていきます。そこで、ここから新しい章(第15章 イタリアとインド)に入るのです。
 「(イタリア統一運動において活躍した)マッツィーニとガリバルディは偉大だったということは、もちろんあなたも認めるでしょうね」という若者の問い掛けに、ガンディーは上のようにおおむね肯定的な回答を示します。しかし、「マッツィーニは偉大で、かつ正しい人」「ガリバルディは偉大な戦士」という表現から、この2人の対するガンディーの評価には違いがあることが分かります。
 さて、その違いとは・・・
マッツィーニやガリバルディは偉大な人物だった。 [2019年11月02日(Sat)]
(630)
 マッツィーニやガリバルディに可能だったことは、ぼくたちにだって可能なはずでしょう。あなただって、きっと彼らの偉大さをお認めにならないはずはありませんよね。
 


 「イタリアと同じ方法で、インドも独立を勝ち取ろう(629)」と、武力による独立の事例としてイタリアに言及した若い読者はこう続けます。
 マッツィーニとガリバルディは、イタリア統一で活躍した中心人物です。
 ジュゼッペ⁼マッツィーニ(1805-1872)は、分裂していたイタリア半島に1つの自由共和国を打ち立てることを目的とする「青年イタリア」を結成し、革命運動を指導しました。
 ジュゼッペ⁼ガリバルディ(1807-1882)は、イタリア統一運動に参加し、イタリア王国成立に貢献した軍事家です。
 このように、民族国家イタリアを建設した2人の英雄を称賛することで、「我がインドも、イタリアと同じ道を進むべきだ」と彼は主張するのです。
 これに対して、ガンディーは・・・
イタリアと同じ方法で、インドも独立を勝ち取ろう。 [2019年11月01日(Fri)]
(629)
<読者>
 イタリアは実際にそれをやり遂げたではありませんか。それと同じ方法で、ぼくたちインド人も独立を勝ち取るのです。



 「仮にイギリス人を追い出すべきだとしても、一体どうやって武力で彼らを追い出すのか?(628)とガンディーは問います。これはもちろん、「そんなことは不可能ではないですか。だから、別の方法を考えましょうよ」と言いたかったのでしょう。
 ところが、熱心な民族主義者の青年は、「武力で独立を勝ち取ることはできる。イタリアも、それを成し遂げたではないか。だから、我々インド人にだってできるのだ」と叫ぶのです。
 イタリアは、北部にサルデーニャ王国、南部にナポリ王国、そして中部は教皇領など、たくさんの国に分かれていました。そして、それぞれの国は小国だったので、オーストリア・フランス・スペインの支配を受けざるを得なかったのです。しかし、19世紀になってイタリアもナショナリズムに目覚め、サルデーニャ王国が中心となってオーストリアと戦い(イタリア統一戦争)、1861年にイタリア王国が成立したのです。
 このイタリア独立は、インドの若者も大いに力づけたようですね。
 さらに、若い読者は・・・