(766)
詩人のトゥルシーダースはこう言っています。
「宗教、慈悲、愛。これらは木で言えば根のようなものだ。これに対して、利己心は幹である。だから、我々は生きている限り慈悲の心を棄ててはならないのだ」。
「あなたは魂の力とか真理の力とかおっしゃいますが、そういったものに力があるなんてことは歴史上の事実によって証明されていないではありませんか」という若い読者の反論
(763)に対するガンディーの再反論は、上のように詩人の言葉の引用から始まりました。
ゴースワーミー=トゥルシーダースは、インドの詩人というか、哲学者というか、宗教家というか、すなわち聖者です。16〜17世紀の人のようです。思想的な立場は、ヒンドゥー教のヴィシュヌ派だそうです。
利己心は、彼によれば樹木における幹のようなものだそうです。それに対して、宗教や慈悲や愛は根だと言っています。確かに、利己的な言動の方が表面に現れやすいかもしれませんね。だから、表面的な事象だけを見て、「利己心こそが人間の本質なのだ。すべての人は、ただ利己心のみに従って生きているのだ」と思ってしまう人も多いでしょう。
しかし、人間にとって本当に根本的な部分は、利己心を超えた宗教的な心の領域にこそあるのだとこの詩人は言っています。あるいは、人間存在を支える基盤となるものとも言えるでしょう。
そして、そのような人間としての根の部分を決して放棄してはいけないと彼は説いています。
幹を伐っても、しばしば切り株からまた芽は新たに出て来ます。しかし、根を抜いてしまえば幹は絶対に生きていけませんね。そう考えると、人間の生命の本質は確かに幹ではなくて根の部分にあるような気もします。
このような詩人の言葉を引用した後、ガンディーは・・・