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お勉強 (05/11)
真の自治とは、自分自身を統治すること。 [2021年04月03日(Sat)]
(1138)
 最後に、私はもう一度要点を繰り返しておきたいと思います。

1.真の自治とは、自分自身を統治することです。言い換えるなら、自分自身の心や行いを制御するということです。



 いよいよ、「ヒンド=スワラージ(インドの自治)」の本当に最後のまとめの部分です。
 第一は、「自治」の意味についてです。
 「真の自治とは、自分自身を統治することである」。このことは、今までに何度も繰り返し述べられていました。((608)など)
 つまり、インドが自治を獲得できるかどうかは軍事的な闘いや政治闘争においてイギリスに勝利を収められるかにかかっているわけではないのです。イギリス人をインドから追い出すことができるかという問題でもないのです。
 それは、あくまでもインド人ひとりひとりの問題なのだというがガンディーの意見なのです。
 そして・・・
自分の義務を果たすのは、自分自身に奉仕することになる。 [2021年04月02日(Fri)]
(1137)
 人は皆、それぞれの義務を果たさなければならないのです。
 私は、私の義務を果たします。それはつまり、私自身に奉仕するということです。そうすれば、私はきっと他の人々にも奉仕することができるでしょう。


 
 「ほかの人々がどうであろうが、自分がなすべきことをなせ(1136)」と述べた後、ガンディーはさらにこう続けます。
 このことは、今までに何度も繰り返し語られていました。しかし、彼にとっての「義務」とは決して「国家権力などから強制されたこと」ではありません。「所属する組織などから命じられたこと」でもありません。そうではなくて、宗教的・道徳的な義務なのです。だから、「自分の義務を果たす」ということは、「自分自身の幸福を実現する」ということと同じなのです。
 そういうわけで、「義務を果たすとは、自らに奉仕することだ」と言っているのだと思います。そして、自分自身への奉仕は他者への奉仕とまったく矛盾せず、むしろ完全に一致するはずのことなのです。
 それから、ガンディーは・・・
ほかの人々がどうするかは、あなたがどうすべきかという問題と関係がない。 [2021年04月01日(Thu)]
(1136)
<編集長>
 あなたは間違っています。ほかの人々がどうするかは、あなたや私がどうすべきかという問題には関係がありません。


 
 ガンディー(編集長)は、「愛と魂の力を用いることができるのは以下のような行動を実践する人だけです」と言って、十九項目の要求を列挙しました。これに対して若い読者は、「すべてのインド人がそれを実行できるのは一体いつになるでしょう?(1135)」と、非常に懐疑的な意見を述べるのです。
 この若者の反応を聞いて、ガンディーは上のように持論を繰り返すのです。
 「ほかの人々がどうであろうが、自分がなすべきことをなせ」というのは、今までも何度も述べられていましたね。((1132)など)
 さらに、ガンディーは・・・
みんながそれを実行できる日は、一体いつになったら・・・? [2021年03月31日(Wed)]
(1135)
<読者>
 あなたの要求はあまりにも過大だと思います。
 すべてのインド人がそれを実行するのは一体いつになることでしょう?
   


 ガンディー(編集長)は、「愛と魂の力を用いることができるのは以下のような行動を実践する人だけです(1112)」と言って、十九項目の要求を列挙しました。
 それを聞いた若い読者の反応は、上記のように極めて常識的なものでした。
 確かに、ガンディーの言う通りに実行するのは誰にとっても至難の業でしょう。だから、「多くのインド人がそれを実行することができるのは(もし、それが不可能ではなかったとしても)、一体いつの日になるのだろうか?」 そんなふうに、彼は思ったのでしょうね。
 このような悲観的な若者の見解に対して、ガンディーは・・・ 

強いられた苦しみと、自発的に受ける苦しみ。 [2021年03月30日(Tue)]
(1134)
 さらに言うなら、苦しみとは自発的に甘受するものでなければなりません。そうでないならば、それは決して苦難に耐えたことにはなりません。



 「愛と魂の力を用いるための条件」の十九番目の続きです。
 「インドが自由を獲得するためには、苦しみに耐えなければならない(1129)」とガンディーは強調します。その上で、「ほかのみんながするようになったらではなく、自らが率先して苦しみに耐えよ」と言うのです。
 そして、ここではさらに、「苦しみは、自らが主体的な意志によって引き受けるものでなければならない」と述べています。誰かに命令されてとか、促されてとか、あるいは他人の言動に影響されてとか、そういう受動的な動機では意味がないということだと思います。
 それは、考えてみれば当然です。この場合の苦しみとは、「苦しめられる」のではなくて、「自らが苦しむことによって、魂の力で闘う」ということだからです。これを、彼は「受動的抵抗」の定義としています。(794)
 だから、厳密に言えば「受動的抵抗」という呼び名は決して適切ではありません。それで、後にガンディーは「サティヤー=グラハ(真理の堅持・主張)」という用語を用いるようになったのです。
 さて、これを聞いた若い読者は・・・
自分が正しいと思ったことは、たとえ一人であってもそれをなすべきです。 [2021年03月29日(Mon)]
(1133)
 自分が正しいと思ったことは、たとえ一人であってもそれをなすべきなのです。そうすれば、ほかの人々もあなたに従うようになるでしょう。
 何か特別においしいご馳走が目の前にあるとすれば、私はほかの人々がそれを味わってみるまで待とうとは思いません。
 国民としての努力をすること、そして苦難に耐えることは、そういうご馳走のようなものです。



 「愛と魂の力を用いるための条件」の十九番目の続きです。
 「こうすべきだとは思うけれども、でも、ほかのみんながそうしていないのに自分だけが行動しても仕方がない。だから、みんながそうするようになったら、その時は自分も一緒に始めることにしよう」。そのように考えるのは怠け者の言い訳だとガンディーは言います。
 つまり、「率先垂範」を彼は勧めているのです。同様の趣旨のことは、今までにもいろいろな所で繰り返し述べられていましたね。(例えば、 (1019)など)
 ここでは、そのことがたとえ話を用いて語られています。人々よりも先に苦難に立ち向かうのは、おいしいご馳走を食べるようなものだと言うのです。自分がそのご馳走を率先して食べるならば、ほかの人々もそれに倣って後から次々に食べるようになるだろうということです。
 そして、さらに・・・
本当は、こうすべきなんだけど、でも、多くの人がまだそうしていないから・・・。 [2021年03月28日(Sun)]
(1132)
19.ほかの人々と同じように、彼には次のことも分かっています。
 「みんながそうするようになったら、自分も一緒に始めることにしよう」
 そんな言い訳は、怠け者のすることです。



 「愛と魂の力を用いるための条件」の十九番目です。
 (1128)で「言葉よりも行動が大事だ」と言っていたように、ガンディーは実践を非常に重視しています。それは、考えてみれば当然でしょう。ただ思っているだけで行動しなければ、世の中を変える力はどこからも生まれて来ないからです。
 とは言っても、このように考える人も多いかもしれません。「でも、自分一人が行動したって社会に与える影響は無に等しいではないか。だから、自分と同じように考える人々が多数派になったら、それを実践することにしよう」。
 しかし、「それは、怠け者の言い訳だ」とガンディーは痛烈に批判するのです。
 「もし世界が変化することを望むならば、そのような変化をあなた自身が体現しなさい。(You must be the change you want to see in the world.)」
 「しかし、私が変化したってそれ以外の人たちが変化しなかったら・・・」と反論したい人もいるでしょう。
 これに対しては、
 「あなたが何をしたとしても、重大な影響はほとんど与えられないかもしれない。それでも、あなたはそうしなければならない。世界を変えるためではなく、世界によって自分自身を変えられてしまわないために。(Almost anything you do will be insignificant, but you must do it. We do these things not to change the world, but so that the world will not change us.)」
 という言葉が彼の語った名言として伝えられています。
 さらに、続けてガンディーは・・・
真に問われるのは、どれだけの苦しみに耐えることができるか。 [2021年03月27日(Sat)]
(1131)
18.このこともまた、ほかの人々と同様に彼は悟っているでしょう。
 現在隆盛を誇っているいずれの国民も、過去においては必ず苦しみを乗り越えて来たのです。
 肉体的な闘争においてさえも、本当に問われるのは何人の敵を殺せるかではなくどれだけ大きな苦しみに耐えることができるかです。受動的抵抗の闘いにおいては、まったくなおさらのことです。


 
 「愛と魂の力を用いるための条件」の十八番目です。
 (1129)で「苦難に耐え抜いた後にしか自由を勝ち取る日はやって来ない」と言っていたことに続いて、同様の趣旨のメッセージをここでもガンディーは繰り返します。それだけ、受動的抵抗によって自治や独立を勝ち取るには大いなる苦難に立ち向かう覚悟とそれに打ち勝つ不撓不屈の精神が必要だということでしょう。
 このように、受動的抵抗というのは決して消極的な態度ではないし、厳しい状況を回避しようとする安易な方法でもないのです。
 そして・・・
アンダマン諸島へ島流し。 [2021年03月26日(Fri)]
(1130)
17.ほかの人々と同じように、彼は次のことも理解するでしょう。
 インドの知識人は、自分たちの国にヨーロッパ文明を取り入れることに手を貸してしまいました。それは、たとえアンダマン諸島へ送られてそこで終身刑に服したとしても償えないくらいの大きな罪です。


 
 「愛と魂の力を用いるための条件」の十七番目です。ここで言及されているのは、主としてインドの知識人階級に属する人々です。
 この対話に出て来る若い読者もガンディー自身もそうなのですが、インドの知識人たちはイギリスで教育を受けたり、イギリスをはじめとしたヨーロッパ人の著作物から大いに影響を受けたりしていました。また、ヨーロッパ式の政治的・経済的
システムの中に取り込まれて無意識のうちにイギリスによるインドの植民地支配に加担してしまっていたとも考えられます。
 (955)では、「隷属化の責任を問われるべきなのは、英語を学んだインド人だ」と言っていましたね。
 アンダマン諸島は、インド東部のベンガル湾に浮かぶ島々です。インド亜大陸からはかなり離れていて、ミャンマー沖と言った方がいいような位置です。ここは、イギリス統治時代に政治犯の流刑地にされていたそうです。
 それから、さらにガンディーは・・・
                         
自由を求めるだけでは、自由になれない。 [2021年03月25日(Thu)]
(1129)
16.ほかの人々と同様に、彼は理解しているでしょう。
 我々が苦難に耐え抜いた後にしか、自由を勝ち取る日はやって来ないのだということを。
 


 「愛と魂の力を用いるための条件」の十六番目です。
 今までガンディーは、「弁護士であれば、その職業を捨てて手織り機を使って自ら布を織れ(1114)」とか、「医者であったとしても、手織り機を使って自ら布を織れ(1120)」とか、「裕福ならば、その財産を投じて手織り機を買い揃えよ(1123)」とか、「投獄されることも避けようとするな(1127)」とか、かなり厳しいことを次々に要求していました。しかし、そのような苦難を耐え忍ぶことは自由を勝ち取るためにぜひとも必要なことなのだと力説するのです。
 だから、ガンディーはこのような非暴力不服従運動のことを「魂の力」と呼んでいるのです。それは、敵と戦うための力ではなく、自らに打ち勝つ力です。(887)では、「人間の精神には、もともと困難に立ち向かう力が備わっている」という表現で苦難を恐れず、苦難に耐えていかなければならないことが暗示されていましたね。
 そして・・・