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すべての機械製品をボイコットするという宣言。 [2020年10月31日(Sat)]
(988)
 もしもベンガル州がすべての機械製の商品をボイコットすると宣言していたならば、きっとさらに良い結果をもたらしていたに違いありません。


 
 「ベンガル州は織物工場を作らないことで伝統的な手織りの綿布を作る仕事を復興させることができている(987)」という話の続きです。
 要するに、地場産業を守るために機械を使った工場を地域に作らせないということです。これは明らかに保護主義的な政策であり、自由主義経済の立場からは批判されるべきものだと考えられるでしょう。しかし、ガンディーはこの政策を積極的に支持しています。
 それどころか、さらに強硬な手段を取ることさえ彼は主張しています。それは、「すべての機械製商品のボイコット」です。確かに、すべての人が機械製の品物を買うことを拒否すれば、その国の手工業は決して衰退することなく続いていくことでしょう。
 しかし、消費者が果たしてそのような統一的な行動を取れるかどうかが難しい問題になると思います。「機械製だって、品質が良くて安ければ買ってもいいではないか」という声も、きっと上がってくるでしょう。
 けれども、「機械文明は決して人間を幸福にしない。だから、是非とも拒否すべきだ」というガンディーの確信は絶対的なものなのです。
 そして・・・
伝統的な手織りの綿布を作る仕事を復興させることができた。 [2020年10月30日(Fri)]
(987)
 ベンガル州の大胆な取り組みについて何かで読んだ時、私はとても嬉しく思いました。
 そこには織物工場がなく、その結果、伝統的な手織りの綿布を作る仕事を復興させることができているのです。
 ベンガルで起こったことは、ムンバイの工業にも大きな励ましを与えました。



 「インドの綿工業が衰退した原因は、マンチェスターではなく我々の方にある
(986)という話の続きです。原因が自分たちの方にあるのであれば、その問題を解決するための方策も自分たちが持っているはずなのです。
 ベンガルとは、ガンジス川とブラマプトラ川の下流にあるデルタ地帯を指す地域名です。現在は、インドの西ベンガル州とバングラデシュに分かれています。ベンガルは、この本の最初の方、第2章(ベンガル分割)で出て来ましたね。((64)などを参照してください)
 ムンバイは、インド西部、アラビア海岸に位置する港湾都市です。この時代は「ボンベイ」と呼ばれていました。綿工業が盛んだったそうです。
 そして、さらに続けてガンディーは・・・

原因は、我々の方にある。 [2020年10月29日(Thu)]
(986)
 しかし、私の考えは間違いでした。マンチェスターが織物を生産するのはなぜでしょうか? 我々がそれを着るからです。だから、原因はマンチェスターではなく我々の方にあるのです。

 

 「インドの手工業に壊滅的打撃を与えているのは、イギリスのマンチェスターだ(985)」という話の続きです。これは、ダット氏の「インド経済史」に書いてあったことで、ガンディーも初めはその意見に同意して、インドの置かれた悲惨な境遇に涙したそうです。
 しかし、その後、彼の考えは変化したようです。それはつまり、こういうことです。インドの伝統的な綿工業が壊滅したのは、確かにマンチェスターなどイギリスの工業都市で生産された機械織りの綿布が大量に流入して、その結果自国の製品がインドで売れなくなったからだ。けれども、マンチェスターで作られた綿布がどうしてインドに入ってくるのかと言えば、インド人がそれを喜んで買うからではないか。だから、原因はマンチェスターではなく我々の方にあるのだ。
 同様の主張は、(268)などでも述べられていました。ガンディーの独立論の大きな特徴であると言えると思います。
 そして・・・
インドの手工業に壊滅的打撃を与えているのは、イギリスのマンチェスターだ。 [2020年10月28日(Wed)]
(985)
 インドが貧しくなっているのは機械のせいである。マンチェスターが我々に及ぼしている害の大きさはまったく計り知れない。インドの手工業に壊滅的打撃を与えているのは、イギリスのマンチェスターなのだ。



 「ダット氏の『インド経済史』を読んだ時、私は涙が止まりませんでした(984)」というガンディーの話の続きです。恐らく、ここに書いてあることはその本に書かれていた内容なのでしょう。
 マンチェスターというのは人の名前ではなく、イギリスにある代表的な工業都市の名前です。イングランド北西部(グレートブリテン島の中部)にあって、かつては綿工業などが発展し、産業革命において中心的役割を果たしたそうです。つまり、イギリスの機械工業のことを象徴的にマンチェスターという地名で表現しているのです。
 18世紀までは、インドはヨーロッパに綿布を輸出していたのだそうです。ところが、この関係は19世紀の初めに急激に逆転してしまいました。すなわち、インドはイギリスに原料の綿花を供給し、製品化された綿布を買う立場になったのです。当然、インドの伝統的な手織りの綿布産業は壊滅的な打撃を受けてしまいました。
 要するに、インドの伝統的な産業が破壊されてしまったのは、ほかならぬイギリスの機械工業のせいなのだということでしょう。
 これに続けて、ガンディーは・・・
その質問は、まさに私が受けた傷に触れ、その傷口を広げるものです。 [2020年10月27日(Tue)]
(984)
<編集長>
 おお、その質問はまさに私が受けた傷に触れ、その傷口を広げるものです。
 ダット氏の「インド経済史」を読んだ時、私は涙が止まりませんでした。そして、読み終わった後さらにその問題について考えだすと、私はだんだん気分が悪くなってきました。



 「西洋文明が排除されるべきものなのであれば、機械も不要であるとあなたはおっしゃるのですか?(983)」という若い読者の質問に対するガンディーの回答です。
 機械に関して、彼にはトラウマがあるようなのです。
 ダット氏とは、インド生まれでイギリスに渡って医者になった、Upendra Krishna Dutt(1857-?)のことだと思われます。彼はずっとイギリスにいて、スウェーデンの女性と結婚したそうです。2人の息子はマルクス主義者としてイギリスで活躍したようです。
 「インド経済史」という本を書いていることから考えると、お父さんのダット氏も医者でありながら経済学も深く研究していたと思われます。恐らく、イギリス資本主義によって大きな打撃を受けたインド経済についての記述をガンディーが読んで、その悲惨さに涙したのではないかと想像されますが・・・
それならば、「機械も不要である」とあなたはおっしゃるのですか? [2020年10月26日(Mon)]
第19章 機械
(983)
<読者>
 「西洋文明を排除せよ」とあなたはおっしゃいますが、ということは、機械も不要なのでしょうか?



  第18章(教育)も、結局最後はガンディーの文明批判に行き着きましたね。
 今までガンディーは、「鉄道」「弁護士」「医者」「教育」「反宗教(合理主義)」と、あらゆる面から近代文明を批判していました。そこで若者は、「ということは、まさか、便利な機械さえもあなたは拒否すべきだとおっしゃるのではないでしょうね?」と疑問を呈するのです。
 そして、ここから新しい章(第19章 機械)に入ります。
 実は、機械を否定するガンディーの見解は既に(568)で示されていました。だから、この質問に対するガンディーの答えは大体予想できるような気もしますが・・・
いずれにしても、西洋文明は必ず斥けられなければならない。 [2020年10月25日(Sun)]
(982)
 私たちの文明には進んだ所もあり、遅れた所もあります。また、改革が試みられている一方で、反動的な現象も見られます。それは事実です。
 しかし、1つ確かなことがあります。それは、いずれにしても西洋文明は必ず斥けられなければならないということです。ほかの問題を解決していくためにも、それは絶対に必要なことなのです。


 
 第18章(教育)も、いよいよ最後の部分を迎えました。近代的な教育の必要性→英語教育→宗教教育と話題が移って来ましたが、結局、ガンディーにとって一番重要なのは、「いかにして、インドが西洋文明に汚染されない正常な国であり続けることができるか?」なのです。まったく、それを汚染された海にたとえるほど(980)、ガンディーは西洋文明に対して強い嫌悪を抱いています。しかし、決してヨーロッパ人を憎んでいるわけでもないし、ヨーロッパ人を排斥しようとしているわけでもありません。
 (627)で述べられていたように、彼は西洋文明と西洋人を同一視してはいないのです。
 さて、これを聞いた若い読者は・・・
インドを、取り戻す。 [2020年10月24日(Sat)]
(981)
 穢れなきインドを取り戻すためには、まず我々がそこに立ち返って行かなければなりません。
 


 宗教教育に関するガンディーの話の続きです。「宗教教育こそが最も大切なものだ」という持論を持っている彼ですが、決して既存の宗教教育に満足していたわけではありません。(978)では、イスラム教・パールシー教・ヒンドゥー教の聖職者・教育者たちのことをかなり厳しく批判していました。
 しかし、反省しなければならないのは決して宗教者だけではありません。彼の考えによれば、最も堕落しているのは自分自身も含めたインドの知識人だということでした。だから、ガンディーは上のような自己批判と悔い改めの誓いを口にするのです。
 そして、さらに・・・
清められなければならないのは・・・。 [2020年10月23日(Fri)]
(980)
 今、西洋文明という大きな波がこの国に押し寄せています。しかし、この波をかぶっているのは岸辺にいる人々、すなわち我々のような知識人だけなのです。
 だから、清められなければならないのは我々であり、我々は自らの努力によって穢れのない状態を回復しなければなりません。インドの大衆は、このような穢れとはまったく無縁の存在だからです。
 


 宗教教育に関するガンディーの話の続きですが、ここから議論が大きく展開されていきます。
 原文(英語版)では、「汚染されているのは岸辺だけだ。だから、清められる必要があるのはそこにいる人々だけだ」と、象徴的な表現でしか書かれていません。しかし、この後の記述を読むと、これはやはり西洋文明を「外洋からやって来る穢れた波」にたとえているのだろうと思われます。
 インドを隷属状態に陥らせているのは主に西洋文明であり、「現在隷属状態に陥っているのは、西洋文明に影響された人々だけ(604)」というような見解もこれまでに何度も繰り返されていました。だから、これも同様の主張なのではないかと思います。
 そして・・・
宗教教育も、排除されるべきものになる。 [2020年10月22日(Thu)]
(979)
 もしも彼らが良識を取り戻そうとしないのであれば、宗教教育もまたイギリスの教育と同じように排除されるべきものになります。
 しかし、イギリスの教育をやめることができたとしたら、宗教教育をやめることもそれほど難しくはないはずです。
 


 「最も大切なのは宗教教育である」と確信的に述べていたガンディーですが、決して既存の宗教教育の現状に満足していたわけではありません。(978)では、イスラム教・パールシー教・ヒンドゥー教の聖職者・教育者たちのことを非常に激しく批判していました。
 そして、そのような宗教教育の担い手の質の向上が実現しないならば、宗教教育もまた悪しきもの、排除されるべきものとなるだろうと彼は言うのです。
 しかし、きっとインドの宗教者たちが本来の道に立ち返り、正しい宗教教育がインドにおいて行われるようになるだろう。そのような希望を彼は持っていたに違いありません。
 そして・・・