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民を愛するがゆえにこそ、民を叱る。 [2018年02月01日(Thu)]
(7)
 そして三番目は、もしも人々の中に誤った考えがあれば、それは誤りであると勇気を持って明言することです。



 これが、ガンディーの考える新聞の使命の最後です。一番目の使命は、「大衆が抱いている感情を理解し、代弁すること」でした。そして二番目の使命は、「人々の間に望ましい感情を喚起させること」でした。
 第一の使命によって、自分はあくまでも民衆の立場に身を置くのだという基本姿勢をガンディーははっきり示しています。ただし、決して彼は大衆迎合主義者ではありません。第二の使命として掲げられている項目を見れば、民衆のオピニオンリーダーとしての自覚を彼が持っていたことも分かります。
 しかし、単に自分の考えを完全無欠の正論、唯一至上の問題解決方法とみなし、自らが権威者となって大衆にそれを示して高圧的に従わせようとしたのではありません。ガンディーは日々の自己省察を怠らずに思想の深化に努め、また非常に厳しい実践を自らに課して内面化に励み、常に謙虚な姿勢で真理探求の道を歩み続けたのです。彼が中心的な拠り所としたのは、バガヴァッド=ギーターをはじめとするヒンドゥ教の聖典でした。さらに彼は、ソロー・トルストイ・ラスキンなどの欧米の思想家の著書も精力的に読んで自分の思想を吟味検討し、そのような研鑽を経て到達した真理に基づいて「正しい」と思われることを人々に説いたのでした。
 彼が規範としていたのは絶対的な真理ですから、もちろん妥協はありません。だから人々に対しても、いかなる反発も恐れずに誤りは誤りであると指摘し、何としても彼らを正しい方向に導くことが自分の使命であると考えていたようです。
 この三つの使命を挙げた後、ガンディーは・・・
                         
人々のよき導き手となるか、悪しき煽動や世論操作の道具になるか? [2018年01月31日(Wed)]
(6)
 二つ目は、人々の間に望ましい感情を喚起させることです。



 ガンディーの考える新聞の使命の第一は、「大衆が抱いている感情を理解し、代弁すること」でした。これに続けて彼が挙げるのは、「人々の間に望ましい感情を喚起させること」なのです。つまり、新聞は既に世の人々が抱いている感情を代弁するだけでなく、多くの人々がまだ感じていないことであっても、そのような感情を人々が抱くようになることが望まれるならば、そのような感情を人々の間に喚起し、醸成し、共有化していく役割を果たすべきだということでしょう。
 もちろん、この場合の「望ましい感情」というのは権力者や特定の利害関係者から見て望ましいと思われる方向に大衆の感情や世論を誘導・操作するという意味ではありません。ガンディーと「インディアン・オピニオン」は、はっきりと民衆の立場に立っているからです。
 しかし、政府や企業などから独立していない報道機関の場合は、それが世論操作の道具として利用されてしまうことが非常にしばしばあるでしょう。たとえ直接の圧力がなくても、目に見えない影響力が生じてしまうことも多いでしょう。これは、報道機関の内部にいる人にとっても常に厳しく検証・省察されるべき問題であり、報道を受け取る立場の一般人にとっても注意を要することだと思います。
 さて、インド人の間にナショナリズムが高揚しているという当時の状況の中で、果たして「喚起されるべき望ましい感情」とはどのようなものだったのでしょうか? これに対するガンディーの考えは、これから多角的・総合的に述べられることになります。
 ところで、彼の考える新聞の使命はこれで終わりではありません。(4)で、「新聞には三つの使命があります」と言っていたからです。さて、三つ目の使命とは・・・
新聞の使命は、政府関係機関等から得た情報を大衆に伝えることではなく・・・ [2018年01月30日(Tue)]
(5)
 一つ目は、大衆が抱いている感情を理解し、それを代弁して世に訴えることです。



 「インディアン・オピニオン」という週刊紙を発行していたガンディーが考える新聞の使命とは、果たして何なのでしょうか?
 その一番目に挙げられているのが、これです。「大衆が抱いている感情を理解し、代弁する」。決して、政府機関の発表をそのまま報道するということではありません。権力者の意向に忖度して、世論操作を行うのでもありません。
 「新聞というのは、まず第一に、大衆の抱いている感情を代弁する役割を果たさなくてはならない。そのためには、あくまでも大衆の立場に立ち、その感情を正しく理解しなければならない」とガンディーは言うのです。権力者から見た社会の問題を、権力者の意向に沿って、人々に伝えるのではありません。人々の願いを、人々の苦悩を、人々の怒りを、世に知らしめることこそが新聞の第一の使命であると言うのです。
 だとすれば、多くのインド人たちが自治を願っているならば、新聞はその思いを代弁し、それを広く世に訴える機会を積極的に提供すべきだということになるでしょう。
 しかし、ガンディーの考える新聞の使命はこれだけではありません。これに続いて挙げられる、第二の使命とは・・・
                         (つづく)
果たして、新聞の使命とは? [2018年01月29日(Mon)]
(4)
 新聞には三つの使命があります。



 民族主義の熱い思いに燃える若い読者の質問に対する編集長(ガンディー)の回答、と言うよりも、その前置きの部分の続きです。
 ここで新聞の使命が出て来るのは、もちろんこの文章が「インディアン・オピニオン」という新聞に掲載されていたからです。これは、ガンディーが南アフリカで発行していた週刊紙です。
 ロシアのトルストイにも送られたようで、これを受け取ったトルストイは深い共感を示す手紙をガンディーに書いています。(あなたの雑誌「インディアン・オピニオン」を受け取りました。そこに書かれている無抵抗主義の人々のことを知り、喜んでいます)トルストイ82歳、最晩年のことです。
 トルストイの手紙から推察すると、「インディアン・オピニオン」は新聞と言っても単にニュースを伝えるのではなく、ガンディーの思想と運動を世に伝えるオピニオン誌のようなものだったと思われます。
 さて、ガンディーが考える新聞の使命とは・・・
                         (つづく)
困難な問題に立ち向かおうとする者は、忍耐強くなければならない [2018年01月28日(Sun)]
(3)
<編集長>
 あなたは良い質問をしてくれましたね。
 しかし、それに答えるのは容易ではありません。
 


 「インド中に今、自治の大波が押し寄せている。インド人たちは皆、熱い思いで民族の独立を願い、自治の実現を待ち望んでいる。これについて、あなたはどう考えるか?」という若い読者の質問に対する、この新聞の編集者ガンディーの回答の書き出しです。彼はまず、相手の質問を適切であると褒め、続いてその質問に対する回答は非常に困難であると述べています。
 答える前から回答するのは難しいと告白するなんて弁解じみていると思われるかもしれません。しかし、確かに冒頭の質問に対してこれからガンディーが答えようとすることは決して単純ではなく、しかも正しく相手に伝えるのが容易でない内容も含まれているのです。
 そのことを、ガンディーは最初に言明しているわけです。これはつまり、回答を受け止める側にも相当の思慮深さと忍耐力が要求されるということを伝えようとしているのではないかと思います。
 というわけで、ガンディーの回答は少し長くなります。「インドの自治、独立についてどう思うか」の前に・・・

     
権利は与えられるものではなく、自ら求めて掴み取るものである。 [2018年01月27日(Sat)]
(2)
 インド人の心は今、自分たちの権利をつかみ取ろうという願いに燃えているのだとぼくは思います。
 この問題について、あなたのお考えを聞かせてくれませんか?



 若い読者の最初の問題提起の言葉の続きです。
 「インド人が自分たちの権利をつかみ取ろうとしている」というのは、イギリスの支配下でインド人たちが様々な権利を奪われ、抑圧され、疎外されていることを認識し、その権利を回復しようとする強い意志を持つに至ったということです。
 それは、ベンガル分割令によってインド人たちの怒りが爆発し、それがきっかけとなって民族意識が高揚した結果でもあるでしょう。また、同じアジアの国である日本が日露戦争において勝利を収めたことにも刺激されたのかもしれません。
 このような状況において、この若い読者自身もインド人の権利回復、自治の獲得、そしてイギリス帝国からの完全な独立を熱望しているのです。その問題意識を、同じインド人である相手がどれだけ自分と共有してくれているだろうかという質問でしょう。章のタイトルである「インド国民会議とその議員たち」はまだ登場しませんが、後で出て来ます。
 さて、質問の相手は編集長です。どうして編集長なのかと言うと、初めにこの文章が発表されたのはガンディーが南アフリカで発行していた週刊紙「インディアン・オピニオン」だったからです。ですから、編集長というのはガンディーのことです。
 さて、この質問に対するガンディーの答えは果たして・・・


インド中に今、自治の大波が押し寄せている。 [2018年01月26日(Fri)]
第1章 インド国民会議とその議員たち
(1)
<読者> 
 インド中に今、巨大な波が押し寄せています。それは、自治の波です。
 この国の誰もが皆、民族の独立に思い焦がれているのは明らかです。
 南アフリカに住むインド人たちの間にさえ、同じような心情が広がっています。



 この「ヒンド・スワラージ(インドの自治)」は、読者と編集長の対話の形で書かれています。「読者」は恐らく、イギリスで出会った急進的民族主義者をモデルにしていると思われます。
 彼は、インドの人々の心に「自治を強く求める心情」が急激に高まり、それが「巨大な波」のようにインド中に押し寄せていると言っています。(岩波文庫版では「自治の風」になっていますが、英語版では"wave"です)
 「自治」は、"home rule"(原文では"Home Rule")です。これは、地方自治とも訳される言葉です。つまり、イギリス帝国(大英帝国)からの離脱を意味するものではなく、イギリス帝国の枠組みの中で一定程度のインドの自治を獲得したいというのが、この頃の多くのインド人の要求だったと思われます。
 当時(20世紀初頭)は、インドだけでなく、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アイルランドなども大英帝国に属していたのでした。南アフリカには、ガンディーもそうでしたが、当時たくさんのインド人が住んでいました。そのほとんどは、砂糖農園や石炭鉱山の労働者だったそうです。
 ただ、この読者は続いて「民族の独立(National Independence)」という言葉を使っています。これは、明らかに一歩も二歩も先に進んでいます。"independence"というのは、自立・独立です。つまり、大英帝国から離れて自分たちの主権国家を樹立したいということです。
 しかし、自治の要求がこのように独立を求める意志に発展するのは恐らく自然なことなのです。特に、若い世代にとってはなおさらでしょう。
 若い読者はさらに続けます。・・・
いよいよ、・・・と言いながら、なかなか始まりませんが・・・ [2018年01月25日(Thu)]
 本当に、前置きはこれで終わりです。

 これから、多分長期間にわたって続くと思いますが、ガンディーの代表作「ヒンド・スワラージ(Indian Home Rule)」の内容を熟読していくブログ連載ゼミを始めたいと思います。

 ただ、この本は残念ながら下川町公民館図書室にはありません。名寄市立図書館にもないようです。仕方がないので、リクエストで取り寄せてもらって読もうと思います。旭川市中央図書館にはあるので、たまに行った時に読もうと思います。
 英文はインターネットで読めるので、これも参照することにします。

 「ソロー研究ゼミ」と同様に、正確な翻訳というよりは日本語としての読みやすさを重視して、この本の内容をぼくなりの表現で紹介したいと思います。また、関連事項や思ったことなども併せて書いていこうと思います。

 どうぞお楽しみに。
 第1回目は、明日の予定です。
真の独立への道 [2018年01月24日(Wed)]
 さあ、いよいよ「ガンディー研究ゼミ」を始めます。
 テキストは、「ヒンド・スワラージ(Indian Home Rule)」です。


 日本では、「真の独立への道ヒンド・スワラージ」として、岩波文庫から出版されています。訳者は、‎ 田中敏雄という人です。本の表紙には、こう書いてあります。

 「非暴力・不服従主義による民族運動で知られる「インド独立の父」ガーンディー(1869−1948)が,自らの思想と運動の基本理念について述べた主著.編集者(ガーンディ)と読者(急進的な若者)との対話形式で書かれ,イギリス支配のもとでの近代文明を批判,真の文明とは何か,インドの真の独立のあるべき道について論ずる」

 
 「インドの真の独立のあるべき道について論ずる」と書いてありますが、ここで「インド」を「日本」と読み替えても良いのではないかと思います。アメリカ支配、近代文明による束縛からの解放はいかにして実現できるのかを、この本を読みながら考えていきたいと思います。

 
 さて・・・

                  (つづく)

「ヒンド・スワラージ(インドの自治)」について [2018年01月23日(Tue)]
 その本こそ、ガンディーの代表作の一つである「ヒンド・スワラージ」です。1909年、ガンディー40歳の時の著作です。1910年にインドで刊行されて、多くの人々に関心を持って読まれたそうです。しかし、ベンガル分割令の後に民族運動が激化していた時期だったからか、この本はすぐに発禁処分とされました。
 次にガンディーは、初めにグジャラート語で書いた著書を自ら英訳して『Indian Home Rule』(インドの自治)として再出版したのだそうです。それによって、世界各国の人々に読まれるようになりました。1924年には、アメリカで初の海外版も出版されたそうです。

 ガンディーがインドに帰国して活動を開始するのは第一次世界大戦勃発直後の1915年ですから、これはより以前の著書です。しかし、彼の思想の基本は既にこの中に記述されているのです。
 1938年に改定新版が出されていますが、変わったのは語句の訂正のみで内容については一切加筆も削除もされていないのだそうです。

 というわけで、この「ヒンド・スワラージ」を、「下川わわわ大学」ガンディー研究ゼミのテキストにしようと思います。