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自治の本質は・・・。 [2020年12月31日(Thu)]
(1048)
 自治の本質が何であるかは既に述べました。
 それは、力や武器によって得られるものでは絶対にないのです。
 


 インド民族運動の過激派の人たちに対するガンディーのへのメッセージ(1045)の続きです。
 自治の本質については、(608)などで述べられていました。すなわち、「自治とは、自分自身を統治することである」というのがガンディーの持論なのです。
 だから、彼にとって問われるべき主要な問題は、インド人ひとりひとりの精神のあり方と生活実践なのです。そう考えれば、「自治を獲得するために暴力は必要ない」と彼が主張するのも当然だと思います。必要ないどころか、暴力の行使はまさに自治に逆行する行為だということになるでしょう。
 そうは言っても、ガンディーは各自の内面的な問題だけに目を向けて、社会的な問題を無視したり軽視したりしていたわけではありません。イギリスの不当な支配に憤り、多くのインド民衆が苦しみから解放されることを切実に希求する気持ちは大いに抱いているのです。ただ、そのような社会的な問題であっても、その本質的な解決は決して外的な力によってなされるのではなく、ひとりひとりの意識と行動によってしか克服することはできないという考えなのです。
 そして・・・
自治・独立は、敵を倒すことによって実現するのではない。 [2020年12月30日(Wed)]
(1047)
 ですから、もし仮にあなたがたがイギリス人を追い出すことに成功したとしても、それだけでは決してあなたがたが自治を獲得したとは言えません。



 過激派に対するガンディーのへのメッセージ(1045)の続きです。
 過激派の人たちは、「我々はインドの自治を望んでいる。その実現のためには、力ずくでもイギリス人を追い出さなければならない」と考えていたようです。(624)
 けれども、ガンディーは、「インドの自治を望むのは私も同じだ」と共感を示しつつ、「しかし、たとえイギリス人を追い出したとしても、それでインドの自治が実現するわけではない」と言うのです。同様の趣旨のことは、イタリアの独立運動が話題になっていた時に、「オーストリアの軍隊が撤退した後、イタリアにとって実質的な良い変化は何もなかあった(646)」と述べられていましたね。
 さらに、ガンディーは・・・
 
自治は、ひとりひとりが自らの努力によって。 [2020年12月29日(Tue)]
(1046)
 インドの自治は、インド人ひとりひとりが自らの努力によってつかみ取らなければなりません。他人から与えられたものは自治ではありません。それでは、外国による統治と同じことになってしまいます。
 ・・・



 過激派に対するガンディーのへのメッセージ(1045)の続きです。
 彼はまず、「自分たちは、インドの自治という目標を共有する同志である」という立場を明確にします。インドの自治を望み、その実現を目指しているという点では、過激派の人々もガンディーもまったく変わらないのです。
 問題は、それをどうやって実現するかです。過激派の人たちは、暴力を含めた手段によってイギリス人を排除することによってインドの自治・独立を果たそうとします。しかし、「それでは自治を実現したことにはならない」とガンディーは言うのです。
 このことは、(611)で既に述べられていました。すなわち、「自治とは自分自身を統治することであり、このような自治は必ずひとりひとりが自らの経験によって成し遂げなければならない」というのが彼の持論なのです。
 そして、ガンディーは続けて・・・
それは、政治闘争や暴力闘争によって得られるものなのか? [2020年12月28日(Mon)]
(1045)
<編集長>
 過激派の人たちには、こう言いたいと思います。
 「あなたがたがインドの自治を望んでいるということを私は知っています。しかしそれは、あなたがたが求めることによって得られるというものではないのです。
 ・・・
 
 

 「あなたは両派の人々に対してどのように言うおつもりなのですか?」という若い読者の問い(1044)に対して、編集長(ガンディー)はまず過激派へのメッセージから語り始めます。
 「過激派」というのは、「インドがイギリスからの独立・解放・自治を勝ち取るためには、暴力に訴えることも是とする。そして、実際に暴力的な行動を起こしたり、起こそうと企てたりしている人たち」のことです。もちろん、非暴力主義者のガンディーはまったく違った考えを持っています。(659)では、「インド国民が実際に武力による闘争を選ぶことはないし、そうしない方がいい」と言っていました。
 しかし、彼は過激派を激しく非難したり糾弾したりするのではなく、まず彼らと自分との共通点・一致点を示します。それは、「あなたたちも、私も、インドの自治が実現することを願っている」ということです。つまり、敵対者としてではなく、同じ目標を共有する同志として語り合おうとするのです。
 そして・・・
穏健派と過激派に対して・・・ [2020年12月27日(Sun)]
(1044)
<読者>
 では、あなたは両派の人々に対してどのように言うおつもりなのですか?



 「あなたは、第三の党派を立ち上げようとしているのではありませんか?」という若い読者の質問に対し、ガンディーは「そのような考えは毛頭ない」と否定し、さらに、「私は穏健派にも過激派にも奉仕したい」(1043)という信念を示しました。
 そこで、若い読者は上のように質問を変えて、「では、決して対立はせずに奉仕したいと考えているが意見の相違もある両派(過激派と穏健派)に対して、あなたはどのようなメッセージを伝えたいと思いますか?」とガンディーに尋ねるのです。
 これに対して、一体ガンディーはどう答えるのでしょうか。この章が最終章であることから考えると、今までの主張を要約あるいは総括したような言葉が提示されるのではないかという気がしますが・・・
意見の相違があっても、相手に奉仕する。 [2020年12月26日(Sat)]
(1043)
 穏健派にも過激派にも私は奉仕したいと思っています。もし彼らと私の間に意見の相違があれば、私は彼らに対する敬意を保ちながら自分の立場を明らかにするつもりです。そして、再び彼らへの奉仕を続けるつもりです。



 「あなたは、第三の党派を立ち上げようとしているのではありませんか?(1039)という若い読者の質問に対するガンディーの答えの続きです。
 インド人による民族主義運動は、当時2つの党派に分れていたようです。いわゆる「過激派・急進派」と「穏健派・保守派」です。ガンディーの意見は、この両派のいずれとも違っていました。しかし、だからと言って自分は第三の党派を立ち上げようとは思わないと彼は明言するのです。
 たとえ意見が異なる点があったとしても、自分はその相手と争おうとは思わない。むしろ、意見の異なる相手に対しても奉仕をしたいと思う。だから、別の党派を作ろうとは考えないのだと言うのです。
 「奉仕する」と言っても、いわゆる「滅私奉公」とは違います。自分の意見はしっかりと持ち続けるし、場合によっては相手と違った意見を表明することもあるのです。
 このガンディーの見解を聞いて、若い読者は・・・
他人に奉仕しようということだけを願う人々が・・・。 [2020年12月25日(Fri)]
(1042)
 それに、人々のために奉仕したいとだけ願っている人間同士が集まって、一体どのような党派を結成するというのでしょうか?
 


 「あなたは、第三の党派を立ち上げようとしているのではありませんか?(1039)という若い読者の質問に対するガンディーの答えの続きです。
 同じ意見の人々が集まって党派を作るという考えを彼は否定します。少なくとも、「他人に奉仕したいとだけ願っている人々は党派を作る理由がない」と言っています。確かに、同じ意見の人たちが党派を形成する理由は、「他の意見を持つ人たちに対抗して、自分たちの意見を通そうとするため」だと言えるでしょう。だとすれば、「他人と争って自分の意志に従わせようとするのではなく、自分が他人に奉仕したい」と願う人たちにとっては党派を作る理由はないわけです。
 このように述べた上で、ガンディーは・・・
すべての人が同じような思想を持つなんてことはありえない。 [2020年12月24日(Thu)]
(1041)
 すべての人が同じような思想を持つなんてことはありえません。
 また、穏健派の人々と言っても、彼ら全員の意見が完全に一致しているというわけでもないのです。



 「あなたは、第三の党派を立ち上げようとしているのではありませんか?(1039)という質問に対して、「そんなつもりは毛頭ありません」とガンディーは答えました。
 それに続けて、さらに上のように付け加えます。確かに、例えば政党(政治団体)であれば「政治理念や政策を同じくする人々が結成するもの」と説明されたりします。しかし、同じ政党に属する人は本当にみんな同じ考えなのでしょうか? もちろん、そんなことは実態としてもなさそうですし、原理的にもありえませんね。実際には、「政治上の理念や意見を同じくする人」というよりは「政治上の利害を同じくする人」が政党を作っているような気もします。
 いずれにしても、まったく同じ考えを持っているということなど滅多にあるものではないでしょう。当時のインド民族運動の中の「穏健派」と言われるグループでも、意見の相違はあったようですね。それは、当然のことだと思います。
 そして、さらにガンディーは・・・
第三の党を作ろうとする気はない。 [2020年12月23日(Wed)]
(1040)
<編集長>
 そのように考えるのは誤りです。
 第三の党派を作ろうなどというつもりは毛頭ありません。
 

 
 「あなたは、第三の党派を立ち上げようとしているのですか?(1039)という質問に対して、ガンディーは明確にそれを否定します。
 「第三の党」ということは、それ以前に二つの党が存在していたわけですが、それはインド民族主義運動の中の急進派(過激派)と穏健派(保守派)のことです。確かに、ガンディーのこれまでの主張を聞いていると、そのいずれとも異なっていました。だから、「もしも同じ考えを持つ人々が党派を形成するのだとすれば、あなたは、過激派でも穏健派でもない第三の党派を作るしかないのではありませんか?」と若い読者は尋ねたのです。
 しかし、「そのような意図はまったくない」とガンディーは明言します。それはある意味当然のことで、(85)で「この分裂は私たちの国にとって良いことではありません」と言っていたように、二つの党派に分裂していることさえ問題視していたのですから、それを三つに増やそうなどと彼が思うはずはないのです。
 そして、・・・
あなたは、第三の党派を立ち上げようとしている。 [2020年12月22日(Tue)]
第20章 結び
(1039)
<読者>
 あなたから伺ったお話を総合すると、つまりあなたは第三の党派を立ち上げようとしているのではないかと思われます。だって、あなたは過激派とも違っているし、穏健派とも異なる主張をしているのですから。
 
 

 遂に、ここから最終章に入ります。
 今までのガンディーの主張を聞いて、若い読者は大いに戸惑いを感じたようです。
 当時、インドの民族運動は二つの派に分裂していました。(83)
 どんな社会変革運動でも、目的は同じでもそれを達成するまでのやり方については2つの傾向に分かれてしまうことがよくあります。「すべてを完全な形で、即時に、一切の妥協なく」と考える人たちは、どうしても思考や行動が過激になってしまいがちです。一方、「しかし、現実を無視するわけにはいかない。物事は急には変わらない」と考える人たちは、時として妥協し過ぎていたり隷属意識や無力感にとらわれていたりするように見えるかもしれません。
 このような状況になってしまうと、人々はお互いに陣営のようなものを作り、敵・味方のグループを形成します。そして、自分たちの味方と認定すれば仲間として歓迎し、敵と見なせば「あいつは〇〇だ」といったレッテルを貼って攻撃の対象にしようとするのです。
 しかし、ガンディーはこの二派のどちらとも違った見解を示しました。それで、「あなたは第三の党派を作ろうとしているように見える」と若い読者は言ったのです。
 これに対して、ガンディーは・・・