それを消すのはもうほとんど不可能ですし、消す必要もありません。 [2018年04月02日(Mon)]
(68)
しかし、ベンガル分割に対しては人々の間に抵抗の機運が盛り上がっていました。短期間のうちに民族感情は高まりましたし、何人ものベンガル人指導者たちがたとえすべてを失ったとしても決して屈せずに闘い抜く覚悟を決めていました。 インド人たちは自分たちの内に秘められた力に気付きました。だから、運動は大きな火となって燃え広がったのです。それを消すのはもうほとんど不可能ですし、消す必要もありません。 ベンガル分割についての話の続きです。イギリスが一方的に出したベンガル分割令は、インド人たちのナショナリズムに火をつけてしまいました。今までのイギリスによる不当なインド支配に対しての怒りが遂に爆発したのでしょう。 ちょうどその頃、日露戦争で同じアジアの日本がロシアに勝利していたので、それがインドの人々に刺激を与えたということもいくらかはあったかもしれません。(日露戦争は1904年2月〜1905年9月、ベンガル分割令は1905年) イギリスはもちろん、インド人の声などまるで無視してベンガル分割を強行します。それでも、インドの民衆はベンガル分割反対の運動を続けたのです。それは、ベンガル地方だけでなくインド全土に広がったそうです。 1905年11月にはカーゾン卿が総督を辞任し(ただし、ベンガル分割及びインド人の反英闘争とは無関係のようです)、ミントー卿が第4代インド総督に就任します。しかし、その後もインドの民族運動はずっと続いていたのです。 「それを消すのはもうほとんど不可能ですし、消す必要もありません」という発言から考えると、このインドにおけるナショナリズムの高まりをガンディーは非常に肯定的にとらえているようですね。 そして・・・ |