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お勉強 (05/11)
インドの今の不穏な状態も必然的なものだし、それゆえに正常な状態と考えられなければなりません。 [2018年04月25日(Wed)]
(88)
 私たちはまだ落ち着かず、あちらこちらと体をひねって寝返りを打っているのです。
 このような眠りと目覚めの境目の状態は当然に存在するものです。それと同じように、インドの今の不穏な状態も必然的なものだし、それゆえに正常な状態と考えられなければなりません。



 インドは落ち着かない不穏の状態である。このことを認めた上で、ガンディーはそれを人間が睡眠から目覚める過程で生じる「寝ぼけ」状態にたとえながら、「それは必然的なものだし、正常な状態である」と言うのです。
 このように、ガンディーは政治問題を論ずる時も決して観念的な思考にとらわれたりはしません。常に自然な感覚と結び付けながら、多面的に、哲学的に、問題を考察するのです。
 そして、彼の思考のもう一つの特徴は、「これは善、あれは悪」だとか、「これは正しい、あれは間違っている」だとか、「この人は味方、あの人は敵」だとか、「これは全面的に好ましい、そうでなければ絶対的に良くない」だとか、そういうふうに二元論的な思考には陥らないことです。
 例えば上の例のように、「ある状態から別の状態に移り変わる時、その過程において2つの状態が入り混じった状態を通過する」というように彼は考えるのです。
 ですから、「不穏の状態は良いか、良くないか?」ということではなく、「不穏の状態は状態そのものとしては良い状態ではない。しかし、それは良い状態に至る過程で必然的に現れる現象である。だから、それは否定すべきものではない」と説くのです。
 そして・・・
     
私たちはまだ寝ぼけ状態から脱していないのです。 [2018年04月24日(Tue)]
(87)
<編集長>
 人間が眠りから覚める時は、体をひねって寝返りを打ったりして落ち着かないものです。彼が完全に目覚めるまでには少し時間がかかります。
 同じように、ベンガル分割は目覚めを引き起こしましたが、私たちはまだ寝ぼけ状態から脱していないのです。



 「インド国民の本当の目覚めは、いつ、そしてどのようにして起こるのでしょうか?」という若い読者の質問に対して、「それは、ベンガル分割の後に起こりました」とガンディーは答えました。
 ここで疲れている「目覚め」という言葉は、もちろんこれは比喩です。民族意識・国民意識・主権者意識に目覚めるという意味で使われいます。
 この、インド人の集団的な意識の目覚めについての話から、ガンディーは突然、通常の意味での目覚め、すなわち「睡眠から覚めること」について語り出します。これは、誰でも自分の身に多少なりとも経験していることですから、確かに唐突ではあるけれどもとても分かりやすい説明ではあると言えるでしょう。
 眠りから覚めたばかりの時、人はしばしば意識の混濁した「寝ぼけ」の状態に陥ります。認識や判断が平常よりも不確かで鈍ったものになり、自らの身体の動きさえも統御できなくなったりするものです。
 当時のインドの落ち着かない不穏状態も、そのような寝ぼけの状態に似たものだとガンディーは言うのです。
 そして・・・
現在の不穏な状態をあなたは喜ばしいことだと思われますか? [2018年04月23日(Mon)]
第3章 不満と不穏
<読者>
(86)
 ベンガル分割によって目覚めがもたらされたとあなたはお考えなのですね。では、その目覚めから生じている現在の不穏な状態をあなたは喜ばしいことだと思われますか?



 ここから、新しい章に入ります。章のタイトルは、「不満と不穏」です。不満は"discontent"、不穏は"unrest"(落ち着かない気持ち、不安、特に社会不安、不穏、暴動、動乱)です。
 若い読者がこのような質問をしたということは、きっと当時のインドは落ち着かない不穏状態だったのでしょうね。それはまあ、容易に想像できることです。イギリスに対する不満や反発が高まり、連日たくさんの人々がデモや集会に参加したことでしょう。しかも、インド人同士の間でも路線対立が表面化していたのです。
 こういう時、人々は一種の興奮状態に陥ります。個人間でもしばしば議論が行われ、それが時には激しい口論になったり喧嘩に発展することもあったでしょう。まさに、不穏な状態です。
 このような落ち着かない社会の状態、社会不安と言ってもいいでしょうが、「それは果たして喜ばしいことなのか?」と若者は尋ねるのです。
 これに対して、ガンディーは・・・
                         (つづく)
分裂は国にとって良いことではない。 [2018年04月22日(Sun)]
(85)
 この分裂は私たちの国にとって良いことではありません。
 しかし、このような分裂状態は長くは続かないだろうと私は思っています。どれだけ早くこの分裂を克服することができるか。それは、指導者たちに掛かっています。



 「この分裂」というのは、インド民族運動における穏健派と急進派の対立のことです。ガンディーは、「穏健派と急進派のどちらが正しい」とか「どちらを自分は支持する」とかいうのではなく、そのような分裂状態そのものが良くないと言っています。党派争いでどちらが勝利を収めるかではなく、インド国民がどうやって分裂を克服するかが問題なのです。
 そしてまた、「このような分裂状態は長くは続かないだろう」という希望的観測を彼は表明しています。それは、「今の分裂を早く克服してインド国民は一致協力していかなけれなならない」という確信と決意の表れだと思います。
 さらに、この路線対立問題の解消にとっては運動指導者たちの役割と責任が非常に大きいことをガンディーは指摘しています。そして、後には自らがそのような役割を果たしていくことになるのです。
 これで、第2章(ベンガル分割)はおしまいです。
 次は・・・
   
あやうく乱闘騒ぎに・・・ [2018年04月21日(Sat)]
(84)
 確かに言えるのは、二派の間に対立が生じてしまっているということです。
 一方は他方に不信感を抱いていて、相手の動機は不純だと非難しています。
 スーラトで開かれた国民会議の年次大会では、危うく乱闘騒ぎになる所でした。
 


 インド民族運動が穏健派と急進派に分裂してしまっているという話の続きです。党派争いというのは困ったもので、本来同じ目的のために協力しあわなければならないはずの人たちが激しく対立しあったり、憎みあったり、攻撃しあったりしてしまうことも多いのです。
 インド民族運動の中心組織だった国民会議も、ゴーカレーなどの穏健派とティラクなどの急進派に別れてお互いに対立するようになってしまいました。
 スーラトは、インド北西部・グジャラート州にある都市です。ここで開かれた年次大会では危うく乱闘騒ぎが起こりそうになるほど対立が深刻化していたそうです。
 インド国民会議は、毎年インド各地で年次総会を開催していたようです。第1回目のボンベイ大会(1885年)や急進派主導の4綱領が採択されたカルカッタ大会(1906年)が有名です。
 この問題について、ガンディーは・・・
みんなが各自の予断・偏見に基づいて勝手に言葉を言い換えているのです。 [2018年04月20日(Fri)]
(83)
 これらは、「ゆっくり党」と「せっかち党」と考えていいかもしれません。あるいは、穏健派のことを「臆病派」、急進派のことを「勇敢派」と呼ぶ人たちもいます。
 要するに、みんなが各自の予断・偏見に基づいて勝手に言葉を言い換えているのです。



 インド民族運動の路線対立についての話の続きです。一般的には「穏健派」と「急進派」と呼ばれますが、これはまあ中立的な表現と言えるでしょう。
 しかし、党派争いが激しくなると、お互いに自分の側を正当化するために相手を悪く印象付けようとします。例えば、急進派の人は「あいつらは臆病派で、自分たちは勇敢派だ」などと言ったりするのでしょう。反対に穏健派の人たちは「あいつらは過激派で、自分たちは平和派だ」などと言うかもしれません。
 こうなるともう、レッテル貼りの応酬になってしまいます。急進派は穏健派を「対英従属派」「奴隷派」「弱腰派」「イギリス支配の手先」などと呼び、穏健派は急進派を「非現実派」「無責任派」「暴走派」「テロリスト」などと呼ぶかもしれません。
 まったく、ガンディーの言う通り、みんなそれぞれ自分の予断・偏見に基づき、自分の立場に都合の良いように相手に悪いレッテルを貼るのです。だから、穏健派の人たちの話を聞けば急進派には賛成できないと思う人が多いでしょうし、急進派の人たちの話を聞けば穏健派には不満を感じるという人が多いでしょう。
 しかし・・・
 

インドの指導者たちは二つの党派に・・・ [2018年04月16日(Mon)]
(82)
 インドの指導者たちは二つの党派に分かれてしまいました。すなわち、穏健派と急進派です。



 ベンガル分割で高揚した民族意識と反英感情を背景にして、インド国民会議はそれまでの体制協調的・漸進的な路線から大きく方針転換をします。これを主導したのが、(77)に出て来たティラクなどです。彼らは、急進派と呼ばれています。これに対して、従来からの主流派は穏健派と呼ばれます。(16)以降何度も登場しているゴーカレー教授などです。ただし、その後急進派はイギリスによる弾圧と分断策によって力を失い、国民会議内では再び穏健派が主導権を握るようになったそうです。
 ここまでの彼の発言から考えると、ガンディーはどちらかと言うと急進派に近い考えを持っていたように思います。しかし、「どちらが正しい、間違っている」ということではなく、国民の間に溝が出来てしまうことこそが大きな問題なのだと彼は認識しているのです。国民運動の中に路線対立が生まれていること自体に、非常に強い危機感を持っているわけです。
 路線対立、党派争い・・・それは現代の様々な社会運動の中にも見られることです。この問題についてガンディーは・・・

大きな出来事が起これば、いつも必ず大きな結果が生じる。 [2018年04月15日(Sun)]
(81)
 ベンガル分割は、イギリスの船に亀裂を作っただけではありません。我々の船にもまた、亀裂が出来てしまいました。
 大きな出来事が起これば、いつも必ず大きな結果が生じるものなのです。



 「ベンガル分割はイギリスの船に亀裂を作った」とは、イギリス帝国による強引なベンガル分割がインド民衆の反発を招き、結果的にはイギリス帝国からの分離・独立を求める民族運動を引き起こす最初のきっかけになったということです。
 このように、ベンガル分割はインド人の意識や行動に極めて大きな影響を与えました。それはきっと、偶然も含めた様々な要因が複雑に絡み合ってのことでしょう。歴史的な大事件とは、そういうものなのです。
 そして、この大きな出来事は、イギリスだけでなくインドの船にも亀裂を作ったとガンディーは言います。果たして、それはどういう意味なのでしょうか?
 ・・・
ほかに何か重要なことは・・・ [2018年04月14日(Sat)]
(80)
<読者>
 ベンガル分割の結果として、ほかに何か重要なことはありますか?



 「インド国民の本当の目覚めは、いつ、そしてどのようにして起こるのか?」という若者の質問に対して、ガンディーは、「あなたのおっしゃる本当の目覚めは、ベンガル分割の後に起こりました」と答えました。
 さらに彼は、「この新しい精神こそ、ベンガル分割から生じた結果のうちでもっとも重要なものである」とも言っています。
 そこで、若い読者は、「ベンガル分割の結果として起こった重要な変化はほかに何かありますか?」という問いを再びガンディーに投げ掛けたのでした。
 これに対するガンディーの回答は・・・
北はパンジャブから、南はコモリン岬まで [2018年04月13日(Fri)]
(79)
 ベンガルで生まれた精神は、インド中に広がっています。北はパンジャブ地方まで、そして南はコモリン岬までも。



 ベンガルで生まれた精神とは、(75)で「ベンガル分割から生じた主要な結果」とガンディーが言っていた「新しい精神」のことです。それは、民族的な目覚めと政治的主体者としての自覚であったと言えるでしょう。
 ベンガル分割への抗議・反対から始まった反英闘争は、東部のベンガルからインド全土に波及しました。それは、新しい精神がインド全体に広がったということです。
 パンジャブ(パンジャーブ)は、インド北部の地方名です。言語はパンジャーブ語、宗教は、イスラム教・シク教・ヒンドゥー教だそうです。そのような状況から、独立後はインドとパキスタンによって分割されています。
 コモリン岬は、インド亜大陸最南端、インド洋に突出した岬です。東はベンガル湾、西はアラビア海になります。緯度は北緯8度だそうです。
 このガンディーの話を聞いて、若い読者は・・・