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その質問には、今の段階ではお答えすることができません。 [2018年05月15日(Tue)]
<読者>
(108)
 その質問に答えることはまだこの段階ではできません。イギリス人たちが出て行った後にどんな状態になっているかは、彼らがどのように出て行くかによりますから。



 「イギリス人に要求したいのは、『どうぞこの国から出て行ってください』ということだけです」と言う若者に、「では、仮にイギリス人がインドから出て行ったとすれば、その後あなたは何をするつもりですか?」とガンディーは質問します。
 この質問に若者が答えられなかったのは考えてみれば当然です。彼は、「イギリス人をインドから追い出したい」と思っているのです。ところが、もちろんイギリス人がインドから撤退しそうな気配はまったくありません。だとすれば、「どうしたらインドからイギリス人を追い出すことができるか?」を考えるのが精一杯で、「イギリス人が去った後にどうするか?」というようなことはほとんど意識に上りさえしなかったのではないでしょうか。
 しかし、インド人にとっての最終目標はあくまでも「自治(スワラージ)」なのですから、イギリス人を追い出した後のことに関してはまったく何のビジョンもないというのでは困ります。
 そこで若者は・・・
イギリス人がインドから出て行った後・・・ [2018年05月14日(Mon)]
<編集長>
(107)
 では、仮にイギリス人がインドから出て行ったとしましょう。その後、あなたは何をするつもりですか?



 「もしも私たちの要求がすべて実現したとすれば、もはやイギリス人を追い出す必要はないですよね?」というガンディーの問いに対して、「ぼくがイギリス人に要求したいのは、『どうぞこの国から出て行ってください』ということだけです」と若者は答えました。
 これはつまり、「自分たちは何としてもイギリス人の退去を求める。これにはどんな妥協もしない。いかなる代替案もない」ということです。
 この若者の頑なな主張に対して、ガンディーは意外にも反駁を加えず、仮定の話ではありますが、あっさりとそれを認めます。そして、「イギリス人がインドから退去したとすれば、あなたは一体何をしようというのですか?」と質問するのです。
 確かに、「イギリス人を追い出す」というのはインド人にとって究極の目的にはなりえません。イギリス人がいなくなれば、それでインドの自治が直ちに実現するわけではないからです。
 この問いに対して若い読者は・・・
彼らの言葉では「去る」と「残る」が同意語。 [2018年05月13日(Sun)]
(106)
 もしも、この要求に従った後もまだ彼らがインドにいるのだとしたら、それはつまり、「イギリス人はインドから出て行く」という言葉が「イギリス人はインドに居座る」ことを意味するわけです。
 これでは異議の唱えようもありません。彼らの言葉では「去る」と「残る」が同意語なのだと考えるしかないのですから。



 「もしも私たちの要求がすべて実現したとすれば、もはやイギリス人を追い出す必要はないというふうには思いませんか?」というガンディーの問いに対する若い読者の答えの続きです。
 彼が「この要求」と言っているうのは、「イギリス人はインドから出て行ってください」という要求のことです。彼は、これをインド人が求める唯一の要求だと言っています。それはつまり、「一切の妥協はありえない、どんな条件も受け付けない、とにかくイギリス人は一人残らずインドから出て行ってほしい」という強硬な主張なのです。
 確かに、インド人の要求が「イギリスはインドから出て行け」ということだとすれば、ガンディーの言うような状況は成立しえません。要求が実現したとすればイギリス人はインドにいないはずですし、イギリス人がインドに残るのであれば要求は実現していないことになりますからね。
 この若者の意見に対して、ガンディーは・・・
どうぞこの国から出て行ってください。 [2018年05月12日(Sat)]
(105)
<読者>
 あなたは要求のすべてとおっしゃいましたが、ぼくがイギリス人に要求したいのはそのうちの一つだけです。すなわち、「どうぞこの国から出て行ってください」ということです。



 「もしも私たちの要求がすべて実現したとすれば、もはやイギリス人を追い出す必要はないでしょう?」というガンディーの問いに対する若者の回答です。
 彼にとって、最も切実な願い、インド人民の中核的な要求は、「イギリス人はインドから出て行ってほしい」ということなのです。イギリス人に対する反感が敵意に変わってしまい、しかも憎悪の念が募り募っていつしかイギリス人の排斥こそが自分たちの主目的なのだと考えるようになってしまったのでしょうか。でも、彼は決して「イギリス人はインドから出て行け!」とは言わず、「どうぞ出て行ってください」と丁寧に依頼しています。だから、感情の抑制が失われているわけではありません。
 それにしても、これは妥協を許さない非常に強固な意志です。唯一の要求が「イギリス人がインドから出て行くこと」であるとすれば、それはどんな条件があっても譲れないことになるでしょう。ガンディーが言うような「インド人による自治が実現したインドで、外国人であるイギリス人とも共存する」というビジョンは完全に否定されることになるのです。
 若い読者はさらに続けて・・・

どうしてイギリス人を追い出さなければいけないのか? [2018年05月11日(Fri)]
(104)
 ここで私はあなたに質問しなければなりません。
 もしも私たちの要求がすべて実現したとすれば、もはやイギリス人を追い出す必要はないというふうには思いませんか?



 「インドの自治獲得要求とイギリス人排斥を安直に結び付けてはいけない」というような趣旨の発言をガンディーはしました。当然、そのことについてのより詳しい解説が後に続くのかと思いきや、なんと彼は自説を述べる代わりに上のような質問を若い読者にしたのです。
 インド人は自治を求めている。しかし、今の所はイギリス人たちがインドにいて、この国を支配している。しかも、インド人に自治を与えるつもりはまったくなさそうだ。だから民族主義の強い思いを持つ人たちは、イギリス人の排除によってしかインドの悲願は達成されないと考えているように見える。
 しかし、もしもイギリス人がインドの要求を認めて自治が獲得できたら、もはや彼らをインドから追い出す理由はないのではないか。私たちの目的は自治(スワラージ)なのであってイギリス人排斥ではないのだから。
 恐らく、ガンディーはこのように言いたいのでしょう。
 この質問に対して、若い読者は・・・
ナショナリズムと他民族の排斥。 [2018年05月10日(Thu)]
(103)
 「インドからイギリス人を追い出すべきだ」。そのような意見が多くの人々の口から発せられるのを耳にします。けれども、どうしてそうすべきなのかをきちんと考えた上で発言している人は少ないようです。



 「多くのインド人が自治を望んでいる。しかし、自治という言葉の意味を皆が正しく理解しているわけではない」という話の続きです。
 自治(スワラージ)という願い・要求がナショナリズムと強くつながっているのは明らかでしょう。そして、ナショナリズムが排外主義と結合しやすいのも事実です。だから、スワラージを求める多くのインド人たちが「イギリス人を自分たちの国から追い払おう」と考えたのも理解できる心情ではあります。幕末期の日本で「尊王攘夷」という考えに多くの人がとらわれていたのも、恐らくこれと似ているのではないかと思います。
 多分、人々の心の中では「インドを我々インド人が治める国にしよう」ということと「イギリス人を我々の国インドから追い出そう」ということがごく自然に結び付いていたのでしょう。
 しかし、ガンディーはこれに異論を唱えるのです。
 ・・・
みんなが自治を願っているが、何が自治であるかは分かっていない。 [2018年05月09日(Wed)]
(102)
<編集長>
 自治という言葉を私たちが同じ意味で理解していない可能性は大いにあります。
 あなたも、私も、そしてすべてのインド人が、本当に切実に自治の獲得を願っています。
 しかし、自治とは何かということについて私たちは共通の理解に達していないのです。



 「『自治(スワラージ)』という言葉について、自分たちの解釈は異なっているかもしれない」という若い読者の懸念に対して、ガンディーは上のように答えます。2人とも、お互いの間に相違点があることを話す前から予感しているようですね。
 さて、この若者に限らず、多くのインド人が自治という言葉の意味を共有していないとガンディーは言います。「みんなが自治を強く待ち望んでいる」にもかかわらずです。
 これはとても奇妙なことに思えますが、実際にはよくあることです。言葉は人々が認識の共有を図るための有益な手段ですが、同時に「実際には認識を共有できていないのに、共有しているつもりになってしまう」働きも持っています。
 「多くの人々が自治を強く待ち望んでいる」、その思いは確かに共通しているし、相互作用によって強め合ってもいるのですが、肝心の「自治」という言葉の意味は共有されていない。それぞれ自分の好きなようにその言葉を解釈し、各自の思いやイメージをそれに託している。
 このように、若者の質問に答える前にまず、ガンディーはインド人一般がどのように自治を理解しているかを問題にするのです。
 ・・・
自治(スワラージ)についての考えを聞かせてください。 [2018年05月08日(Tue)]
(101)
 そこで今度は、自治についてのあなたのお考えを聞かせていただきたいと思います。
 ただ、ぼくたちが考えている自治という言葉の意味とは違った解釈をあなたがされているかもしれないと危惧していますが・・・。



 「国民会議」「ベンガル分割」「不満と不穏」という話題に続いて若い読者が提起した問題は、ずばり、「自治」についてでした。自治という用語は、"swaraj"という言葉で表記されています。スワラージ、まさにこの書物のタイトルに含まれている最重要のキーワードです。
 「スワラージ」というのはサンスクリットの連語だそうです。「スワ」は「自己」、「ラージ」は「支配」を意味するということで、「自分たちの国を自分たち自身が支配する」、つまり日本語の「自治」とほぼ同様の概念になると思われます。
 しかし、この若者は「自治という言葉の解釈について、自分とガンディーの間に大きな隔たりがあるのではないかと危惧しています。
 流石、今までガンディーと真剣な対話を重ねて来ただけのことはあります。なかなか鋭い直観力です。
 「スワラージ」という言葉の意味は、既に述べたように「自治」ということなのですが、よくよく考えてみると「自分たちの国を自分たち自身が支配する」というのはそう簡単な問題ではありません。
 この若者が抱いている懸念に対してガンディーは・・・
国民会議、ベンガル分割、不満と不穏については理解することができました。 [2018年05月07日(Mon)]
第4章 自治とは何か?
<読者>
(100)
 「国民会議はインドが一つの国になるためにどのような役割を果たしたのか」「ベンガル分割がインド人の国民意識を覚醒させたというのはどういうことなのか」「不満と不穏はどのようにして国中に広まって行ったのか」
 これらについては理解することができました。



 編集長(ガンディー)と対話を重ねていくうちに、若い読者もだんだんガンディーの考えを理解できるようになって来たようです。「国民会議」「ベンガル分割」「不満と不穏」は、まさにここまで(1〜3章)の各章のタイトルになっている事柄です。
 この二人の間には、実はかなり大きな見解の相違もあったのです。それでもこのように徐々に溝が埋まり、お互いの認識を共有できるようになったのは、もちろん誠意を尽くした真剣な対話の賜物でしょう。
 話し合いというのは本当に大切なことですね。
 さて、この後に続けて若者は・・・
良いことから悪い結果が生まれることもある。 [2018年05月06日(Sun)]
(99)
 このような状況は今後もなお続くでしょうし、続かなくてはなりません。
 これらのすべては良いことが起こっている証拠と言えるかもしれません。しかし、そこから悪い結果が生じることもありうるのです。



 「このような状態」というのは、「人々の不満が社会的に不穏な状態を生み出し、その結果として多くの人が投獄されたり追放されたり命を落としたりしている」ということです。(98)
 このように、物事を「善・悪」に二分するという単純な考え方をしないのがガンディーの特徴なのです。
 良いことの結果として悪いことが起こることもある。このことをガンディーは直視しています。そしてまた、たとえ悪い結果をもたらしたとしても、良いことは良いことであるという信念は決して揺らがないのです。
 ヒューム氏と同様に、ガンディーも「インド社会を変えるためには人々が不満を持つ必要がある」そして「人々の不満は必然的に不穏状態をもたらすが、それは通らざるを得ない過程だ」と考えているのです。
 ここまでで、第3章(不満と不穏)はおしまいです。
 次は・・・