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ハリジャン [2021年05月05日(Wed)]
 ガンディーが編集・発行していた週刊新聞の「ヤング・インディア」紙は、1930年まで発行されていたそうです。しかし、それ以降はガンディーが言論活動をしなかったわけではありません。1933年、彼は新しい新聞を創刊しました。その名前は、「ハリジャン」と言います。グジャラーティー語、ヒンディー語、ウルドゥー語、英語の4つの言語で刊行されたようです。
 「ハリジャン」とは「神の子」という意味で、長い間インドで差別を受けて来た不可触民のことを彼はこう呼んだそうです。この時期、ガンディーはハリジャン解放のための運動に非常に熱心に取り組みました。それで、自らが主宰する機関紙の題名にもしたのです。
 「ハリジャン」という呼称については賛否両論があるようですが、インド社会から差別をなくさなければならないという強い使命感をガンディーが抱いていたことは疑いようがありません。
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