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強いられた苦しみと、自発的に受ける苦しみ。 [2021年03月30日(Tue)]
(1134)
 さらに言うなら、苦しみとは自発的に甘受するものでなければなりません。そうでないならば、それは決して苦難に耐えたことにはなりません。



 「愛と魂の力を用いるための条件」の十九番目の続きです。
 「インドが自由を獲得するためには、苦しみに耐えなければならない(1129)」とガンディーは強調します。その上で、「ほかのみんながするようになったらではなく、自らが率先して苦しみに耐えよ」と言うのです。
 そして、ここではさらに、「苦しみは、自らが主体的な意志によって引き受けるものでなければならない」と述べています。誰かに命令されてとか、促されてとか、あるいは他人の言動に影響されてとか、そういう受動的な動機では意味がないということだと思います。
 それは、考えてみれば当然です。この場合の苦しみとは、「苦しめられる」のではなくて、「自らが苦しむことによって、魂の力で闘う」ということだからです。これを、彼は「受動的抵抗」の定義としています。(794)
 だから、厳密に言えば「受動的抵抗」という呼び名は決して適切ではありません。それで、後にガンディーは「サティヤー=グラハ(真理の堅持・主張)」という用語を用いるようになったのです。
 さて、これを聞いた若い読者は・・・
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