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法廷では、自分の言葉で話すことができない。 [2020年09月26日(Sat)]
(953)
 仮に私が法廷に行きたいと願ったとしても、そこではすべてを英語に直してからやり取りしなければならないのです。
 また、もし私が法廷の弁護士になったとしても、私は自分の国の言葉で話すことができません。さらに、私は自分の母国語を他の誰かからの通訳を通じて聞かされなければならないのです。
 これを苦痛に感じないはずがないではありませんか?


 
 ガンディーの英語教育批判の続きです。
 「私たちの国の最高の思想は、英語によって表現されている(948)、「国民会議の議事進行でさえも、英語によって行われている(949)、「インドで最も有益な新聞もまた、やっぱり英語で印刷されている(950)」と彼が慨嘆していたように、イギリスの植民地となっていたインドでは、英語が公用語になっていたのでしょうね。だから、裁判も英語で行われていたのです。彼が、「たとえけんかをしたとしても、法廷に訴えたくはありません(470)」と言っていたのは、そのことも理由の一つなのかもしれません。
 しかし、「もし、法廷に行きたいと願ったとしても」、そこで使われる言語は英語になるのです。また、ガンディーは弁護士の資格を持っていたのですが、弁護士として仕事をする時も、英語で語らなければならなかったのです。
 「まったく、これほど耐えがたい屈辱があるだろうか」と、ガンディーは訴えるのです。
 そして・・・
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