人々に「何をせよ」「何をすべからず」と命じる力を法律は持っていない。 [2020年05月09日(Sat)]
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どんな法であっても、「このようにせよ」とか「このことをなせ」とか、そのような命令をあなたに与えるわけではありません。 法律は、ただこう言っているだけです。 「もしもあなかたがこれをしないならば、我々はあなたに罰を与えます」。 「人間は、決して法に拘束されるものではない。政府でさえ、そのようなことは期待していない(815)」という話の続きです。 ガンディーによれば、法律が規定しているのは「この行為をしなければ、あるいはすれば、政府はその人間に罰を与える」ということだけなのです。つまり、どのような行為をするかを決めるのは自分自身であって、政府が決めることではない。政府はただ、刑罰という暴力によって自分の望む行為を国民にさせたり、あるいは望まない行為をさせなかったりすることに影響を与えようとするだけだ。そう言いたいのでしょう。 ですから、政府がいくら「こうせよ」と命じても、それに従わない自由はあるのです。また、政府が「あれをすることを禁じる」と言っても、やっぱりそれを行う自由はあるのです。ただ、罰を受けるという不利益を被るだけです。しかし、その罰を受けることを覚悟しさえすれば、その人の自由な意志に基づく行動を国家権力が統制することはできないことになるのです。 これに関しては、ソローは次のように言っています。 「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」(「市民の反抗」) つまり、正しくない法律には従わないのが正しい人間のなすべきことだ。もしそれによって刑罰を受けるのであれば、正しくあろうとする人間は喜んでそれを受けるべきだということです。 さらに、ガンディーは・・・ |




