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そこで問題になっているのはまったく慈悲でも愛でもない。 [2020年03月11日(Wed)]
(759)
 しかし、あなたが示した例は、イギリス人には当てはまりません。
 なぜなら、イギリス人に対して暴力を用いようとするのは決して彼らのためではないからです。それは完全にあなた自身の、すなわち自民族の利益を追求した結果なのです。
 だから、そこで問題になっているのはまったく慈悲でも愛でもないのです。

 

 「火の中に足を突っ込もうとしている子どもがいたとしたら・・・」という若者のたとえ話に対するガンディーの反論(758)の続きです。
 若者の論理はこうでした。
 子どもは、危険と知らずに火に近付こうとしている。その子どもを危険から守るために、暴力を用いてでもその行動を阻止しようとする行為は是認されるはずだ。
 つまり、この場合に暴力の行使が正当化される理由は「その子どものため」ということでした。
 しかし、ガンディーはこう言います。その子どもに対する身体的な力の例をイギリス人に対する暴力を正当化する根拠として利用することはできない。なぜなら、子どもに当たるのがイギリス人であるならば、その暴力の目的もイギリス人の利益のためでなければならない。ところが決してそうではなく、それは自民族の独立のため、すなわち暴力を用いる者自身の利益のためではないか。だから、それはまったく別の話なのだ。
 さらに、彼は続けて・・・
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