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私たちは3つの異なる手段によって、それぞれに異なる3つの結果を得ます。 [2020年01月14日(Tue)]
(703)
 つまり、私が用いる手段によってその腕時計は盗難品になったり自分の所有物になったり寄贈品になったりするのです。
 このように、私たちは3つの異なる手段によって、それぞれに異なる3つの結果を得ます。
 それでもまだ、「手段など問題ではない」とあなたは言うのですか?



 「目的が異なれば、手段も異なる(702)」という話の続きです。
 「私があなたと戦って強奪するなら、それは盗難品となる」「私があなたに代金を支払えば、それは私の財産、所有物になる」「私があなたに懇願して譲渡してもらうなら、それは寄贈品、プレゼントになる」とガンディーは言います。だから、「それを手に入れるためにどんな手段を用いるかは、それによって得られるものの本質的意味や価値を左右・決定する重要な問題だ」と主張するのです。
 「それはまあ、そうかもしれないけど、でも、腕時計はやっぱり腕時計じゃないか。腕時計そのものの物質的な価値、あるいは使用した時の効用は、どうやって手に入れようが変わらない。そういう主観的なものに過ぎない『意味』なんてものは、決してその腕時計の品物としての評価をしようとする際に本質的な問題にはならないんじゃないか。ガンディーが言っているのは屁理屈、幼稚で主観的な考え、世間ではまともに相手にされない子どもじみた非常識論なんじゃないか」、そんなふうに思う人もいるかもしれません。
 しかしその一方で、ガンディーのこの意見に共感する人もたくさんいるでしょう。そういう人は、多分「星の王子さま」も好きなはずです。「もちろんぼくのバラだって、通りすがりの人が見れば君たちと同じだと思うだろう。でもあのバラだけ、彼女だけが、君たちぜんぶよりも大切だ。ぼくが水をやったのは、あのバラだもの」「君は金色の髪の毛をしているね。君がおいらと親密になってくれたときには、小麦畑だって素晴らしく感じられるはずだよ。金色の小麦がおいらに君のことを思い出させるからね」というような言葉は、ガンディーのこの話に通じるものがあると思います。
 ただし、この本が書かれた1909年にはまだ「星の王子さま」は出版されていないので、ガンディーの参考図書には入っていません。
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