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お勉強 (05/11)
神を崇めるのなら、その方法は悪魔の方法でも良いのか? [2020年01月05日(Sun)]
(694)
 もしも、こんなふうに言う人がいたらどうでしょう?
 「私は神を崇めたいと思うが、その方法はどうでも良い。たとえそれが悪魔の方法だとしても、崇めている対象が神でありさえすれば問題はない」。
 その人はきっと、無知で愚かな人間だとみなされるでしょう。



 この前の部分、(693)でガンディーは、「悪魔の前にひれ伏すことによって、神への崇拝から生まれるものと同じ結果を得られるなんて到底考えられない」と言っていました。
 例えば、人間が何かを望む時、お金や物が欲しいとか、他人から褒められたり有名になったりしたいとか、他人に影響力を及ぼせる存在になりたいとか、競争や勝負事に勝ちたいとか、ある事業や計画を達成したいとか、健康で長生きしたいとか、特定の誰かの好意を得たいとか、・・・いろいろあると思いますが、そういう場合、特に自分の努力だけではその望みが叶いそうもない時、人間はよく神頼みをします。
 しかし、「もしも願いを叶えてくれるなら、神でなくて悪魔でもいい」と考える人もいるかもしれません。そのような人は、本当に神を信じているとは言えないでしょう。神についての考え方はいろいろあっていいと思いますが、どんな信仰を持つにしても、神とは決して人間の願い事を叶えるために存在するものではないはずだからです。
 神の恵みが人間に与えられるとすれば、それはその人が神の法に従った生き方を実践した結果としてもたらされるものだと思います。だから、神の法に反したやり方で自分の願いを追求したら、神から与えられるはずのものは決して与えられないだろうとガンディーは言うのです。
 そして・・・
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