神への祈りと悪魔との取引は、同じ結果をもたらすのか? [2020年01月04日(Sat)]
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悪魔の前にひれ伏すことによって、神への崇拝から生まれるものと同じ結果を得られるなんて、到底考えられません。 「手段と目的は無関係ではない(687)」という話の続きです。 「目的と手段」を、ガンディーはいろいろなものにたとえます。「咲く花と植える草」「海を渡るという目的と、それにふさわしい手段」「木と種」です。しかし、もともとは、「正しい目的を実現するための手段は、それにふさわしい正しいものでなければならない」という話だったのでした。 そこで今度は、「神への崇拝によって得られるものと、悪魔への屈服あるいは取引から得られるものは断じて違う」とガンディーは述べるのです。自分が望むものを手に入れたいと思う時、そのために神様にお願いしたり、悪魔の力に頼ったり、求めるものが得られるのならどちらでもよいと思ったりすることもあるでしょうが、彼は明確にこれを否定しているのです。 これは、イエスが荒れ野で悪魔から受けた誘惑の話を想起させますね。「悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて言った。『もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう』すると、イエスは言われた。『退け、サタン。『あなたの神である主を拝み/ただ主に仕えよ』と書いてある』」。 もちろん、ガンディーはこれを意識して書いているのではありません。しかし、この悪魔の誘惑の話はかなり一般性を持った内容なのではないかと思います。 さらに、続けて彼は・・・ |