• もっと見る
«自分自身の気持ちに比べたら、世間の評価などはまるでひ弱な暴君だ。 | Main | 大人の国語ゼミとオープンカレッジ»
多くの人々は、静かな絶望の生活を送っている。 [2012年05月17日(Thu)]
(15)
 多くの人々は、静かな絶望の生活を送っている。彼らが諦めと呼んでいるものは、慢性化した絶望なのだ。様々な遊戯や娯楽に耽っている人々の中にさえ、誰も気付いていないけれど同じような絶望が隠されている。



 絶望とは、希望が叶えられなかったということではないのです。もはや心に希望を抱けなくなること、それが絶望です。
 慢性化した絶望は、次第に無自覚・無感覚なものとなり、まさに静かな絶望の生活と言うべき毎日を送るようになってしまうでしょう。たとえ痛切な苦しみはなくても、いつも鈍い悲しみに囚われることになるでしょう。どんなに豊かな消費や享楽の中にあっても、そこには本当の楽しみも気晴らしもないでしょう。
 本来人間にとって創造的なものであるはずの遊びでさえ、退屈で画一的な消費になってしまうのです。
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました

コメントする
コメント