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«修辞法というのは、「自然」あるいは「真理」と呼ばれるべきものからの借り物なのだ。 | Main | 厳寒期になってから、ぼくは家の壁の漆喰塗りをした。»
ぼくの家に泊まって一緒に即席プディングを食べるほどの怖いもの知らずはそのうちほんの2、3人だった。 [2015年08月15日(Sat)]
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 来客は何人もいたけれども、ぼくの家に泊まって一緒に即席プディングを食べるほどの怖いもの知らずはそのうちほんの2、3人だった。
 しかし、いよいよその危機が迫っているのを見て取ると、彼らは大急ぎで即席プディングを作るよりずっと素早く、即時退却の鐘を慌しく打ち鳴らして立ち去って行った。まるで、家が土台からぐらぐらと揺れだしたかのようだった。
 そんな勇敢な即席プディングを何度も経験しながら、ぼくの家はちゃんと立っていた。



 即席プディングは、(662)にも出て来ました。ソローが来客のために作って出す得意料理だったようです。しかし、どうしてそれが「危機」なのかは分かりません。そんなに不味い食べ物だったのでしょうか?
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コメント
文脈から察するに、ソローが即席プディングを作る時、台の上で(あるいは机ひょっとしたら床の上で)力いっぱいこねたり叩きつけたりして、 家がぐらぐら揺れたのではないでしょうか?
Posted by: くらげ  at 2015年08月15日(Sat) 23:55