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ぼくが世話しているのは豆ではなく、その豆を世話しているのがぼくというわけでもなかった。 [2014年07月28日(Mon)]
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 草取りしている時、ぼくの鍬が石に当たってカチンと鳴る。するとたちまち、その音は森にこだまして音楽となり、天空にまで響くのであった。それは、ぼくの畑仕事とともに奏でられる伴奏になった。ぼくはその瞬間、既に計り知れない収穫を得ていたのである。
 もはや、ぼくが世話しているのは豆ではなく、その豆を世話しているのがぼくというわけでもなかった。
 ぼくはオラトリオを聴きに都会に出掛けて行った知人のことを思い出して、自分のことを誇らしく感じた。また、それと同じくらい彼のことを気の毒に思ったのだった。



 鍬が石に当たってカチンと音を鳴らす。このことを、ソローは自分の畑仕事と共に奏でられる伴奏と呼んでいます。そしてその瞬間、既に自分は計り知れない収穫を得ているとまで言うのです。もはや、自分は豆を栽培しているのではない。豆のために働いているのが自分というわけでもない。そんな一方的で打算的な関係ではなくて、愛によって自他が合一した状態だったということでしょう。それは、手段や目的を超越した、自他の区別さえも超えた、至福の境地だったのです。
 オラトリオというのは聖譚曲のことで、要するにキリスト教の宗教音楽のことです。わざわざオラトリオを聴くために都会に出掛けて行った知人のことを思い出して、ソローは誇らしさと同情を感じたのだそうです。つまり、「自分は森の中で働きながら、荘厳なオラトリオにも匹敵する芸術鑑賞の機会に恵まれていたのだ」ということを言いたいのだと思います。
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