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持続可能性ということについて考える [2012年08月13日(Mon)]


 実を言うと、学生からずばり、「持続可能性についてどう考えるか?」というテーマが提示されたのでした。「うーん、そんなの簡単には言えないなあ」と思いつつも・・・

●まず、農耕などが始まる以前の社会は数千年単位で持続したが、文明化以降の社会は長くても数百年しか持たず、場合によっては数十年で崩壊したことを示し、

●日本の近代についても、近代前期(大日本帝国)は70年余りで破局を迎え、近代後期(戦後)も約70年経って、この先どうも安定的に続いていきそうもない状況である。

●そもそも、先ほどの議論でもあったように、近代国家というものがもはや歴史的使命を終えてしまっているような気配さえ感じられる。

●世界的に見れば、グローバリズムの進展の結果、貧富の格差は植民地時代よりさらに拡大している。

●もはや、勝者と敗者の問題ではない。世界経済全体が破綻すれば、勝者など誰もいないのだから。

●世界がこのまま持続できないのではないかと懸念される問題はたくさんある。

●まず、人間活動による環境に対する過大な影響から生じる大規模かつ急激な気候変動や生態系の変化

●人間、及び人間を支える動植物の命と健康に悪影響を及ぼす恐れのある有害物質

●天然資源が枯渇する、または採掘困難になる、もしくは高騰して利用できなくなる可能性

●経済的不均衡や不合理、大恐慌や破綻の可能性

●国家破綻や機能不全による社会保障等の崩壊、または社会秩序の喪失

●地域経済や地域コミュニティの脆弱化または崩壊

●問題はすべてつながっている。だから、個別に対処法を考えてもすぐに行き詰る。問題の本質、全体像を掴む必要がある。

●しかし、大きな問題に直接向き合って立ち向かおうとしても無力感にとらわれるばかりである。

●そこで、大きなビジョンを抱きつつ、地域に根差した実践を積み重ねていくことが大切。

 というような話をしました。
 ここで、地域の政治ということについての話になったのです。
 ・・・・・
       
                 (つづく)
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