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お勉強 (05/11)
資本主義の始まりと終わり [2012年08月13日(Mon)]
 前回の報告の続きです。

●マックス=ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
●学校教育と資本主義の精神
●資本の蓄積を促す「節約」「克己」、生産性の向上の原動力となる「勤勉」「努力」
●資本主義の勃興期には労働者的人間の養成が必要とされ、資本主義の拡大期には消費者的人間となることが求められる。
●消費者に求められるのは、労働者に求められるものと反対の徳性(浪費、刹那主義、享楽主義、衝動性、無計画性、依存性・・・)である。
●日本学校教育の変化
●グローバリズムと「国益」の消失
●近代国家の機能不全、または歴史的意義の終了
●「空白」の意味、「立ち止まること」の重要性
●「何もない所」「何もしない時間」から生まれるもの
●本当に「成功」がいつも求められるべきで、「失敗」は避けなければいけないものなのか?
●失敗から学ぶこと、失敗をどう受け止めるか?
●成功はあまり役に立たない。成功体験の危険。
●同様に、「苦」も決して否定すべきものではない。
●苦労して初めて得られる喜び、学べること。
●「市場で手に入れられるもの」が増えていくのと並行して、「市場以外で生み出され、人々に分配されていた機能」は縮小していった。
●市場の肥大化とコミュニティ機能の縮小・消失
●市場経済は、人々の所得や購買力を保障はしない。
●国家的な調整が働かなければ、市場経済はとうに破綻していた。
●では、グローバリズムによって国家的調整を超えたコントロール不能の市場経済が世界に広がって行くと、一体どうなるのか?

 というわけで、「持続可能性」というものもやっぱりキーワードになっていったのでした。
 ・・・・・・

                         (つづく)
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