資本主義の始まりと終わり
[2012年08月13日(Mon)]
前回の報告の続きです。
●マックス=ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 ●学校教育と資本主義の精神 ●資本の蓄積を促す「節約」「克己」、生産性の向上の原動力となる「勤勉」「努力」 ●資本主義の勃興期には労働者的人間の養成が必要とされ、資本主義の拡大期には消費者的人間となることが求められる。 ●消費者に求められるのは、労働者に求められるものと反対の徳性(浪費、刹那主義、享楽主義、衝動性、無計画性、依存性・・・)である。 ●日本学校教育の変化 ●グローバリズムと「国益」の消失 ●近代国家の機能不全、または歴史的意義の終了 ●「空白」の意味、「立ち止まること」の重要性 ●「何もない所」「何もしない時間」から生まれるもの ●本当に「成功」がいつも求められるべきで、「失敗」は避けなければいけないものなのか? ●失敗から学ぶこと、失敗をどう受け止めるか? ●成功はあまり役に立たない。成功体験の危険。 ●同様に、「苦」も決して否定すべきものではない。 ●苦労して初めて得られる喜び、学べること。 ●「市場で手に入れられるもの」が増えていくのと並行して、「市場以外で生み出され、人々に分配されていた機能」は縮小していった。 ●市場の肥大化とコミュニティ機能の縮小・消失 ●市場経済は、人々の所得や購買力を保障はしない。 ●国家的な調整が働かなければ、市場経済はとうに破綻していた。 ●では、グローバリズムによって国家的調整を超えたコントロール不能の市場経済が世界に広がって行くと、一体どうなるのか? というわけで、「持続可能性」というものもやっぱりキーワードになっていったのでした。 ・・・・・・ (つづく) |