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かつてのチャルカは、非暴力ではなく貧困の象徴だった。 [2024年03月01日(Fri)]
(1013)
 ムガル帝国の支配下に置かれていた時代にもチャルカはありました。ダッカは、とても名高いモスリン(木綿地)の産地でした。
 けれども、当時のチャルカは非暴力の象徴ではなく貧困の象徴でした。王たちは、女性や貧困層の人々を強制的に働かせていました。その後、東インド会社の時代にも同じことが繰り返されました。
 カウティリヤは、「アルタ=シャーストラ(実利論)」の中で強制労働の存在について言及しています。そういうわけで、チャルカは長い間暴力や支配力の行使や強制の象徴でした。紡ぎ手には、一握りの穀物か少額の硬貨2枚しか与えられませんでした。その一方で、搾取された人々の労働によって作られた最高級のモスリンは、宮廷の貴婦人たちの贅沢な外出着の材料になったのでした。
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 カディ運動についてのガンディーの話(1012)の続きです。
 「チャルカ(糸車)を、非暴力の象徴にしなければならない」と彼は言っています。しかし、チャルカはインドの伝統的な糸車だから昔からあるわけですが、決してそれは非暴力の象徴だったわけではありません。むしろ、貧困の象徴だったのです。
 ムガル帝国というのは、かつてインドを支配していたイスラム王朝です。
 ダッカは、インド東部のベンガル地方にある都市です。現在ではバングラデシュの首都になっています。
 カウティリヤは、紀元前4世紀頃の人で、インドを最初に統一したマウリヤ朝のチャンドラグプタ王の宰相だったそうです。「アルタ=シャーストラ(実利論)」は、その著書です。実利というのは支配者にとっての実利で、目的のためには手段を選ばないという冷徹な統治論が説かれているようです。「インドのマキャベリ」と呼ばれることもあるそうです。
 そして・・・
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