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たとえ最善の法であったとしても、法は悪しきものである。 [2022年09月14日(Wed)]
(488)
 私は、生活のどの部分であったとしても法による干渉を受けたくはありません。たとえ最善の法であったとしても、それがもたらす弊害が比較的少ないと言えるに過ぎないのです。
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 経済のスワデシに関するガンディーの意見の続きです。
 彼はグローバル経済に反対し、決してその渦にインドが巻き込まれないようにしなければならないと強く主張します。
 しかしながら、人々の経済活動を法的に規制するという方法は取るべきではないというのが彼の見解です。(483)
 これは一体どういうことなのかと言うと、つまり、ガンディーは法というものを本質的に悪と見なしているのではないでしょうか? 彼がずっと語っている「村の自治」というのは、一種のアナキズムであると言えると思います。自治(自らによる統治)は、究極的には外部の統治機構を必要としない、あるいは拒絶するものなのです。
 もちろん、決して彼は「一切の政府をすぐに全面的に廃止せよ」と強硬に主張しているわけではありません。「法は、その弊害が最小となるように制定され、運用されるべきである」ということだと思います。
 けれども、法による規制をしないとすれば、一体どうやって経済的なスワデシの実現を図るのでしょうか?
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