スワラージでさえも、忘れよ。 [2021年11月18日(Thu)]
(192)
我々の偏見や先入観はすべて頭の中から消し去らなければなりません。 そう、すべてを一旦忘れるのです。一時的には、スワラージでさえも忘れるのです。 私たちを苦しめている、その存在があらゆる所で我々を圧迫している、あの「持てる者」たちのことも忘れるのです。 そこにいるのは、村人たちなのですから。 ・・・ 「村へ行き、彼らの支援者としてではなく、召し使いとして働け(191)」という話の続きです。 この呼び掛けは、恐らく「スワラージ(自治)」を目指すインドの知識人たちに向けてのものだと思われます。(134)で述べられていたように、インド独立運動の中心的な指導者であるガンディーが自ら率先して農村に住んだのは、スワラージの実現は都市の運動ではなく村の運動からこそもたらされるという確信があったからです。だから、スワラージを求める同志の人たちにも同じような実践を呼び掛けたのでしょう。 ところが、その村人たちの日常生活の中には「スワラージ」という言葉はありません。彼らを苦しめている「持てる者たち(イギリス人やそれと結託している一部のインド人)」の存在も、少しも意識されていません。だから、村人たちにこれらのことを語っても、まったく理解されないに違いないのです。 そこで、「スワラージさえも、一時的には忘れよ」とガンディーは言うのです。 そして・・・ |